本サイトで1年間連載した「有機のがっこう土佐自然塾」塾長・山下一穂さんは、ある時は国会議員にレクチャーし、ある時は大学生に講義しています。農水省が立ち上げた「全国有機農業推進委員会」の委員で、地元では県知事の全面的バックアップで「有機のがっこう」の塾長、近隣の5町村が参加する有機協議会のリーダーでもあります。自身を「日本晴れ掘れ隊・突撃隊長」と称し、日本の農業の流れを変えようと日々奮闘する、その八面六臂の活躍ぶりをルポします。
会場満員のファンを前にして加藤さんは、「今回、私の何よりの楽しみは、山下一穂さんの農場を訪ねることだった」と語った。実はコンサート前日に娘のYaeさんと一緒に山下農園を訪れ、夫であり、有機農業活動家の故藤本敏夫さんそっくりだと評判の山下さんと初めて対面したのだ。「彼が一番やりたくて果たせなかった『本物の百姓になりたい』という夢を、山下さんがここでやりとげている! そのことが本当にうれしかった」と、声を詰まらせた。
加藤登紀子さんにこう言わしめられた山下一穂さんとは何者か。
山下一穂(やました・かずほ) 1950年高知県生まれ。進学を機に東京へ移り住み、プロドラマーとして音楽活動を行うが、体調を崩し、1978年に帰郷。高知市内で学習塾の塾長となる。祖母の死をきっかけに、1990年家庭菜園を実施。独学で有機農業技術の腕を磨き、1998年就農。2005年高知県と協働して「有機のがっこう土佐自然塾」を開校。後継者の育成と指導に当たるとともに全国各地で講演活動を行う。現在、全国有機農業推進委員会理事、NPO法人有機農業技術会議理事などを務める。著書に『超かんたん・無農薬有機農業』。山下式有機農業技術を公開した同書ムービー編vol.1『これでどうじゃ』を2009年1月に発売。イベント情報 2010年9月12日フォーラムに参加します。
住まいは、亡くなった祖母の家だ。幼い頃、高知市内に住んでいた山下さんは、祖母の家に行っては、魚釣りをしたり畑で遊んだりしていたが、その頃は、まさか祖母の後を継いで農業をやるとは思ってもいなかった。
山下さんは大学進学のため上京した。授業にはまったく出席せず、プロドラマーとして音楽活動を始めた。しかし、肉体的な苦痛や業界のしがらみに耐え難くなって28歳で帰郷。食事療法など代替医療を試みながら、母親の経営する学習塾で、様々な問題を抱える子どもたちと関わった。体で受け止められる暴力生徒はよかったが、引きこもりの生徒たちには手を焼いた。
「励ましても誉めても脅しても、競争心、金銭欲、名誉心をあおっても動かない。それまで、教師とか企業の経営者が業績を上げるために安易に使ってきた手法は何ひとつ通用しないんです。『何のために生きているのか』『社会に出たらどういう生き方をすべきか』ということを伝えながら、元気になってもらおうとしたが、『じゃ、自分はどうなんだ』と自問自答してしまう。結局、自分でやって見せないと、口だけで終わってしまう。このことが、すごいストレスでした」。なす術もない無力感、再び体調を崩した。
そんな時、祖母が92歳で亡くなった。遺言には、思いもかけず「この家と墓は孫の一穂が守れ」とあった。40歳になっていた山下さんは、空き家になっていた家に市内から通いながら9aの農地で家庭菜園を始めた。
“どうせやるなら、農薬や化学肥料を使わない農法をしよう”。福岡正信さんの著書『自然農法 わら一本の革命』に出会ったことがきっかけだった。元来の凝り性と探求心が手伝い、あっという間に農作業にのめり込んだ。「ろくなものはできなかったけど、楽しかった。それに、自然の中に身を置くと体調が良くなるんです」。農業を職業にすれば、仕事として充実感を得ながら体調維持ができるかもしれない、そんな思いがふつふつと沸いてきた。
ところが、いざ有機農業のノウハウを調べてみると、どこにも明確な答えはなかった。国や県にも問い合わせてみたが、今ひとつ頼りない。試行錯誤の数年間だった。「むしろ、楽しんでノウハウを積んでいきました。必ずこの農法でおいしい野菜ができる。自分ならできるという漠然とした自信がありました」。それが確信に変わったのは、EMとの出会いからだった。
「EM生ごみ堆肥(発酵肥料)を土に入れたら、突然できがよくなったんです。このインパクトは大きかった。可能性が見えてきたから、勉強がさらにおもしろくなった。就農への意欲がぐっとわきました」。その3年後、妻みどりさんとの農業生活が始まった。48歳の時だった。
しかし、地元の農家は冷ややかに見ていた。「無農薬での営農など無理だ」と誰もが思っていた。農地も容易には借してくれなかった。
転機が訪れたのは、ある真夏の日だった。いつものように、山下さんとみどりさんは、炎天下の中草取りをしていた。2時、3時に畑で農作業をしている人など誰もいない。近所の古参農家の人から、「あんなに女房を働かせるもんじゃないよ」と怒られた。
「その時、ああ、この人はぼくたちのことを認めてくれたなと、目で感じました。農地を探していることを話すと、『よし、分かった。俺が何とかしてやる』と言って、その人の口利きで農地が広がり始めました。他の農家からも、『あいつら、本気や』と思われていたようです。見られていたということですね」
最初は、条件の悪い土地しか借りられなかったが、「それが幸いして、どんな土地でも耕作できる自信を得ました」。その結果、今では本山町を中心に15か所の農地を借りるまでになった。車で見て回るだけで1日かかるが、山下さん夫妻は苦に思わなかった。半信半疑で見ていた親戚たちもようやく、「お前のやり方で、米をつくりたい。はよう勉強して、教えてくれ」と言ってくれた。そのことが、うれしかった。実に就農して10年目、昨年秋の話だ。
新規就農の有機農業者の場合、地域の人とどういう人間関係をつくってきたかが左右すると言われるが、「地域との交流はもちろん大事ですが、地域に溶け込もうとするあまり、いろんなイベントなどに積極的に参加して、それで技術取得や農作業がおろそかになるケースもある。本当の信頼関係を築くには、勤勉に働くことが一番。ぼくの場合は結果として、そのことを学びました」。
山下さんは、自らの農法を「超かんたん無農薬有機農業」と呼んでいる。山下さんには、「有機農業は難しい」との固定観念がない。その技術の基本は、1にも2にも土づくり。「森や林は肥料を必要としないのは、豊かな土壌が生物や植物を支えているから。畑に自然のサイクルができる環境をつくることが大切です。それには、土の中に有用な微生物を増やすこと。しっかり土を熟成させれば、あとは種や苗を植えるだけです」
具体的には、ソルゴーや雑草を緑肥としてそのまま土にすき込んで、地元の福祉施設が製造しているEM生ごみ堆肥(発酵肥料)を入れ、夏場で2か月、冬場で4か月ほどおくと畑が丸ごと堆肥化される。ポイントは「熟成」。「うまくできなかった人のほとんどは、土の熟成が足りないんです。種をまく前が勝負、まいた時点ですでに勝負はついています」。
雑草に対する考え方も深い。「根っこは貴重な有機物ですから、できるだけ土の中に残します」。土の1センチぐらい下に根っこと茎の境目がある。根っこの部分を切る。逆に茎を切ると、そこから草が生えてきてしまう。根っこごと抜いてしまうと、雨が降ったあとなど土は乾くと硬くなるが、根っこが残っていると硬くなりにくい。
「除草剤を使うと害があるだけでなく、草取りをしなくなるから土に触れる機会が極端に減ります。朝から晩まで草取りを楽しめる人は、それだけ土から感覚的な情報を取り入れることができる。土に触れているから的確な判断ができるようになるんです」。技術を突き詰めていけば、本当に農作業が好きか、草取りが好きかということが決め手になると言う。
草の種類などの研究については、「そこまで自分の知識として入れる時間的余裕はありません。ぼくにとって何が一番大切かということだけをチョイスして、それだけをきちんとやった結果がこれです。そういう意味で、ぼくの技術はまだ、たいしたことはないんです。専門家の先生方の考えも取り入れて、さらに体系化されていけばいいと思っています」
そんな山下さんについて、EMの開発者・比嘉照夫名桜大学教授は、「農家のプロ中のプロ。畑の隅々まで行き届いている。まさにアーティストだ」と評価している。山下さんの栽培ノウハウは、『超かんたん・無農薬有機農業』として7年前に出版され、約1万部売れた。今年1月には、1年半ほどかけて収録したDVDも発売され、注目されている。
山下農園は、ともかく美しい。里山を背景にしたロケーションが美しい。柔らかな土がこんもりした畝姿が美しい。そして、ナスやレタス、ダイコンやキャベツなど旬の野菜が虫食いもなく、見事に育っている姿が実に美しい。アマガエルやクモなども棲む小さな楽園だ。
山下農園は、たくさんの研修生を受け入れる農園へと成長した。山下さんが学習塾の教師をしていた頃の教え子の中には、高知大学農学部の大学院で博士課程に挑戦している者もいる。山下さんは「こんなにも楽しく充実感を得られる有機農業を、次世代へと引き継ぐのがぼくの役目です」と言う。この思いが、「有機のがっこう」へと繋がっていく。
「有機のがっこう土佐自然塾」が開校したのは平成18年。有機農業を核に地域社会を再生させ、国全体を変えていく人材を養成することを目的に、NPO法人と高知県の協働事業として始まった全国でも珍しい取り組みだ。
橋本大二郎知事(当時)が本山町の隣の土佐町などで開いた地域住民の意見を聞く会で、「有機農業を地域産業に育てたい」という山下さんの意見を取り入れたことがきっかけだ。校舎は、廃校になっていた「大工の学校」を蘇えらせ、約3.5haの研修農園も準備された。
運営は、地域でEMを活用した生ごみ堆肥化事業などを行っている、NPO法人黒潮蘇生交流会理事長の山下修さんが担い、山下一穂さんが塾長として教育を担当。技術指導と公開講座20コマを含む93コマの講義がある。農業技術は、山下さんの他、高知県農業技術課営農支援室の専門技術官2人が常勤し指導にあたっている。また、比嘉照夫名桜大学教授や(財)自然農法国際研究開発センター職員など、様々な専門家の講義も行われている。
全寮制で授業料と食費寮費で120万円。開校時から応募者が殺到して関係者を喜ばせた。1期生、2期生合わせて25人の卒業生中、県内に17人が、県外に6人が就農した。就農率92%。現在、第3期生11人が研修中で、第4期生は面接中だが、現在のところ10人の応募者がある。
塾生の前職は、教員や郵便局員、タクシー運転手、介護士など多種多様だ。年齢層も10~60代と幅広い。しかし、応募理由は、「美味しくて安全な野菜を直接消費者に届けたい。有機農業で就農する」という点では、当たり前ながら一致している。
山下さんの教え方は独特だ。入塾後3か月は質問禁止。塾生同士の競争意識もご法度。農家になるならば、土に触れてよく自然を観察することから始めればいい。延々と続く農作業を楽しむにも、幼稚な競争心は必要ない。このことを、塾生には体で知ってほしいのです」
朝のミーティングで指示したことと、畑では違う指示が出されることもある。山下さんは「畑に出ると状況によって全部違うわけです。100通りの作業に100通りのニュアンスがある。だから『百姓』です」と言う。
100%言葉に置き換えられない分野の技術は、直感に頼らざるを得ない。その直感が正しいか、単なる思い込みかは、客観的にどれだけ自然観察ができているかにかかっている。だから、徹底的に現場で体験しないと分からない。現場の技術が一番重要だということだ。「言葉で埋め尽くしてしまう情報の与えられ方をすると、想像力が発揮できないでしょう。そういうことに気がついたのは、たぶん、引きこもりの中学生を相手にしていたからだと思います」
1年間では時間が足りないから、2期生から土日・祝日の休みをなくした。3期生からは山下農園での実習も組み入れ、より農家の実情に合わせた環境づくりをしている。「実際の農家のタイム感覚が大事です。たとえば、妻のみどりが鬼のような顔をして袋詰めしている。その姿から段取りとかスピード感覚を感じてもらう。有機のがっこうだけでは、学校のタイム感覚になってしまうのです」。
元歯科技工士の1期生・間浩二さん(41歳)は、卒業後、高知市内から大豊町に移り住んだ。過疎化が進み、コミュニティ機能の維持も危ない集落に就農した間さんは、地域の担い手として期待が寄せられている。標高700m にある50aの畑で、夏はショウガ、冬はプチヴェール、ホウレンソウ、コマツナなど20種類の野菜を栽培している。
間さんの一番の励みでもあり楽しみは、車で1時間かけて、5品目1,000円の野菜を高知市内の友人知人に届けることだ。口コミで美味しさが評判になり、市内のスーパーやアンテナショップなどにも出荷している。売り上げは、1年目は80万円、2年目は250万円だった。「不安はないです。山下塾長仕込みの有機栽培技術で、絶対うまくいく自信があるから。ただただ真面目に農地を耕して本物の農家になっていく。そのことを、塾長から教えてもらいました」と笑う。
開校当初から指導にあたっている県職員の市川智啓さんは、「本庁からも『有機のがっこう』の就農率92%は、極めて高いと評価されています。きちんと目的意識を持って学ぶ人たちが集まってきているからだと思います。でも、本当の成果はこれから5~10年後。卒業して2~3年は農業のまねごとができたけれども、やっぱり暮らしていけないで農業を辞めたでは、成功とは言えません。まだまだ気が抜けません」と語る。
この塾には、全国から有機農業関係者だけではなく、自然保護活動家のC・Wニコルさんや、有名シェフの奥田政行さん、四国の自然を守るためのチャリティーライブを開いたミュージシャンの河島翔馬さん(故河島英五さんの長男)らも訪れている。山下さんを応援している人たちの層は、実に幅広い。
昨年暮れには、就任したばかりの尾崎正直知事が来塾し、3期生11人と懇談。有機農業への熱い思いを語る塾生の面々に、身を乗り出して耳を傾けた。中でも「給食を有機農産物に変えてはどうか」という意見には、「可能かどうか至急検討する」と答えた。山下さんが「高品質で経済性も高く、持続可能な農業は、有機農業しかありません」と力説すると、「山下さん、突撃してください」と激励した。
山下農園の野菜は、本当に美味しい。「昔食べていた山の野菜の味がする」などと好評だ。最初は、トラックに積んでの引き売りからスタートしたが、今では近隣地域約170軒と県外に100軒以上もの顧客を抱えるようになった。
百貨店では、高知大丸が季節の野菜セットをお客に届けるシステムをつくったり、日本橋高島屋がお中元、お歳暮商品としてカタログ販売したりして、評判になっている。コカ・コーラの景品やブライダルの引き出物カタログ商品としても採用されている。
カタログ販売や景品の仕掛け人の航空食品(株)鎌田良さんは、「野菜の形や色がキレイで、食べたらびっくりするほど美味しかったことと、山下さんの有機農業で日本をどうにかしたいという志に心が動かされました。消費者に結びつける応援団になりたいと思っています」と率直に語る。
「山下さんを応援・支援する」という意味で買ってくれるお客が増えている。山下さんは「そういう人たちに、自分は何ができるかと考えた時に、有機農業を通して世の中を変えていくことが自分の役割だと思う。これこそが、引きこもっている子どもたちに言い続けてきたことを、自分で証明できるチャンス。やっとここで見せられるという思いがある。それがずっと今でもモチベーションになっています」と言う。
技術とマーケティングの実績をひっさげ、山下さんは次にはどこに突撃するのか。 国が進める有機農業モデルタウン事業に、高知県を通る国道439号線沿いの本山町を中心に5町村が参加する「高知439(よさく)国道有機協議会」が選ばれた。この会では、はっきりと「山下一穂の指導による有機農業」という明記があり、沿線に就農した「有機のがっこう」の卒業生6人とともに、国道沿線を有機農業の先進地にしようと活動している。
7aある協議会の実験農園では、山下さんの指導で町民がミズナ、ホウレンソウ、ダイコンを栽培し、子どもたちが収穫を楽しんでいる。本山町町づくり推進課の高橋清人課長補佐は、「山下さんには土づくりの大切さを教えてもらっています。これからは、種苗センターで有機の苗を栽培する予定です」と話してくれた。山下農園から「有機のがっこう」、そして地域へと有機農業は確実に広がっている。
「『きちんとできている』という事実を、示し続けるしかないんです。それが一番の説得力。『439国道有機協議会』は、特にそこが狙いです。できた作物はほとんど虫食いがない。そういうのを見た人たちが、どう感じるかということです。そういうことをコツコツやっていくしかないと思います」
全国各地で講演を行っている山下さんが、最近特に意識して強調していることは、有機農業がCO2を削減し、温暖化対策に役立ち、環境問題を解決する極めて有効な手段だという点だ。農水省が、農地をCO2の吸収源として選択することを「気候変動枠組締約国会議(COP)」の作業部会で正式に表明し、「蓄積される炭素量を増やすには、有機物の投入を増やし、耕起などを減らすこと」としていることに、敏感に反応している。実際に山下農園には、県内の某企業から「排出量の取り引きをしてもいい」という打診がきている。換算額は相場制だが、3haで年間約3万円になるそうだ。
土壌にまかれた化学肥料が空気中に放出するメタン(一酸化二窒素)の温室効果は、二酸化炭素の実に300倍にも上る。特に田んぼから放出されるメタンの温室効果は、さらにその23倍。このメタンの抑制技術に農水省は7億7千万の予算案を計上している。
こうしたことにも目を付けている山下さんは、「有機農業以外に解決策はない。有機農業を実行していけば、環境問題を解決するばかりではなく、人々の健康を増進させ、膨大な医療費の削減にもなる。耕作放棄地を有機農業にすれば、自給率も上がり、同時に美しい日本の再生も可能です」と熱っぽく語る。
一昨年、農水省が一般農業者2500人無作為アンケートで、有機農業に転換したい農家を調査したところ50%を超えた。さらにその半年後の調査では、65%になった。そのほとんどの人が、「技術があれば」「マーケットがあれば」という消極的希望者だ。
「マーケットの構築と、技術の提供というニーズが歴然とあります。だから、これをもっと顕在化して大きな声を上げれば、行政は動かざるを得ないでしょう」。山下さんは、「都会的なセンスで有機農業を語れる農家」として、支持者は都会にも多い。自身も「都市農業の有機農業化に、ぼくの出番があるような予感がしています」と言う。
山下さんの性格判断に面白いことが書いてあった。「気が小さくて人前に出るのが苦手なのに、いったん出ると取り仕切りたがる。しかも、その取り仕切りがうまい」。山下さんは「その通りだと思う」と笑う。
「振り返ってみると、ころころ変わっているようだけど、自分なりに一本筋が通っていて、自己矛盾がないからすごく楽です。みどりも『本質的にはどこも変わっていない』と言っています。状況は変わっていますが、筋道が拡大してタイム感覚が加速しているだけ。どこまで行くのでしょうかね」
本当にどこまで行くのだろうか。日本の未来のために、どこまでも突き進んでほしい。これからも、山下さんからは目が離せない。
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