辰巳 スープづくりは作り手のやさしさを涵養(かんよう)する仕事だと思います。食べる人の身になって種類や食材を選び、その日の食材の質に合わせて作り方を調整する。気持が急ぎそうになっても、それを抑えて法則に従う。そうやって、生物としての「ヒト」が、魂をもった実存としての「人」になるのです。
先生はガスの火を10段階に分けて調整しているとか。
辰巳 素材と調理の段階にふさわしい火力があるのです。味の素株式会社で実験したところ、通常、旨味(うま)み成分のグルタミンは熱で消失するのに、私の「蒸らし炒め」の手法を使うとグルタミンが残るのだそうです。だから、私のスープは材料が質素であってもおいしいのね。
病院食の献立にスープを根付かせようと、「いのちのスープ」運動を続けていらっしゃいますね。
辰巳 病気とスープは切っても切れない関係です。病院にまともなスープがないということは、医療として恥ずべきことです。
私の父は40年前に脳血栓で倒れて半身不随になりました。手足だけでなく言語障害も伴っていて、だんだん噛(か)む力も飲み込む力も衰えてきて、何を食べてもむせてしまう。そこで、父が食べやすいもの、飲み込みやすいものを母と一緒に工夫しているうちに、自然に米や野菜、肉などが渾然(こんぜん)一体となったスープに変わっていったのです。特にとろみをつけたスープならまったくむせないので、飲み込むのが困難な病人も、少しずつ口に運んで味わうことができます。
病院食の給食費が安いのでスープは出せないという意見に対して、先生は保険制度で使えるお金を朝日新聞に調べてもらったそうですね。
辰巳 病院が保険請求する入院患者1人当たりの食費は、1食640円か560円。でも、私流のスープの材料費は534円。病院ならまとめ買いすることで3割以上安くできるんじゃない。
それから、一般の給食が食べられなくなった病人に対して、特別の料理場が必要だと思います。私は、コックで定年退職して年金がついた人が、最後の仕事としてそこでスープを
緩和医療に従事している方たちに、ここでスープの作り方を何回か教えました。1つの病院から、お医者さん、看護師長、栄養士、調理師の4名が来られて、熱心に勉強されました。各病院で実践されたところ、患者さんにとても喜ばれているのだそうです。
『食といのち』(文芸春秋刊)で、看護師の川嶋みどり先生と、「口から食べる大切さ」について対談されていますね。
辰巳 現代医学の世界では、すぐに点滴や「胃ろう」(体に穴を開けて栄養液を流し込む方法)を行おうとしますが、口から食べることが大切です。川嶋先生によると、口から飲み込んだものが栄養になっていなくても、その方の回復に繋(つな)がることがあるそうです。物を食べるというのは、人間が人間らしくあるための根源的な営みです。その人が食べたい、おいしいと思って食べるなら、少々栄養学的に問題があるものであっても、それが一番だと思います。
辰巳 最初は私のまわりの雑誌やテレビ関係の方や、一緒に食のことをやっている仲間が集まって、日本はこのままでは農業や食について非常に危うい。何らかの形でそれに歯止めがかけられないかということで会ができたんです。
映画づくりの中心になっている監督の河邑厚徳(かわむらあつのり)さんによると、映画というのは、うまくいけば、日本中で様々な人に見てもらえて、私たちの考えや願いを、より広く伝えることができる。ということで、その会が中心になって映画を作ることになりました。ですから、劇場で上映したら終わりではなくて、いろいろな人たちと新たにつながりを作って、少しでも現状を変えていく力になればと願っています。
辰巳先生がこの映画で一番伝えたいメッセージは何ですか。
辰巳 「生きることは愛することである」ということです。愛するということは、好き嫌いを超えて、対象の上に善きことを願う意志です。対象とは、物の世界、物事の世界、人の世界、人の関係の世界、そして、最後に行き着くところは、神仏への世界だと思います。
深くて大きなテーマですね。
辰巳 そう。だから、河邑さんたちは苦労されたんですよ(笑)。米の有機栽培をしている福士武造さん、酪農家の多田克彦さん、シイタケ栽培をしている加藤誠さんなど、生産物を本当に愛している生産者の方が登場します。
また、東北の津波で流された保育園の幼児、緩和ケア病棟の患者さん、私と一緒に大豆を作っている子どもたちなど、生産者とつながる全国の人たちも登場します。
いただいたお手紙に、「先生のお蔭で、友達のためにスープを作ることができました」とありました。NHKの放送で見たんだそうです。それで、私は神戸へ行く機会があったので、足を延ばして宮アさんに会いに行きました。
宮アさんは家族に恵まれていらした。お祖父さん、お祖母さん、お父さん、お母さん、みんなが毎晩、かづゑさんのためにお経を唱えた。お祖父さんはかづゑさんを長島にやらなければならなくなったことをとても悲しんで、それが原因で亡くなったようです。
そのお祖父さんはお母さんに、何はさておき、あの子のところに時々お見舞いに行くように、と言い置いたんです。戦時中、お母さんはいつも山のような荷物を持ってかづゑさんに会いにきたそうです。
今、宮アさんは病気に対する恨みつらみは片鱗(へんりん)もありません。西さんも、「ありがとう」「幸せ」「うれしい」を繰り返して亡くなりました。
私なんて50幾つまで母がいて、わがままいっぱい(笑)。何でも困ったことがあれば、母に頼っていた。
ですから、神様は私の最後の仕上げをするために宮アさんに引き合わせてくださったと私は思っているんです。
宮アさんにお会いして、人間が意識するしないに関わらず、いのちはよりよく在ろうとしている。人間がそれに従っていく、それが人間の分際(ぶんざい)です。その分際を支えてくれるのが食べ物です。(2013年4月30日 つづく)
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