現在の日本の食文化をどんなふうに見ておられますか。
辰巳 食べることはいのちを養うことです。いのちを守るものを食べた時、人間は自分のいのちに対する手ごたえを感じるものです。例えば、けんちん汁は体をしっかり温める食べ物なので、寒くなった時に食べると足の先まで温かくなります。子どもがお代わりをすると、顔にじわっと汗が噴(ふ)いてくる。それがいのちに対する手ごたえ感です。
しかし、特に若い人でそんな手ごたえ感のある食事をしている人は少ないようです。
私は、19歳から30歳位までの高学歴の女性百余名の1日3食、1週間分の献立を調べたことがあります。すると、具がたっぷり入ったおみおつけをとっている人は既婚者を含めて皆無。週に1、2回、夕食に味噌汁を飲む人がいましたが、それは袋に入った味噌汁かもしれません。もっとも多いのは、菓子パン、中華饅頭、即席麺、ペットボトルのお茶。そして学校や会社の食堂。日本の食事の現状は楽観が許されません。
一方で、グルメ情報が氾濫しています。一見華やかに見える食事も「いのちに対する手ごたえ」という点では貧しい食事が多そうですね。
辰巳 私は毎日、何らかのスープを食べますが、押し付けがましいところが一つもない味です。毎日の食事はそういうふうにあるべきものです。いかにも、「これでござい」という食べ物は眉唾物(まゆつばもの)です。私のスープにはそんな見せ場はありません。その代わり、毎日食べられます。
日常の食事は昔からそうでした。
私は昔、イタリアに勉強に行った時、そのことを知りたいと思って調べてみました。これかなと思ったのは、子牛の骨のスープ「フォン」です。
子牛と言っても、日本の子牛とイタリアの子牛は違います。日本の子牛は生後3週間で食べてしまうからお豆腐みたいな肉です。でも、イタリアでは6か月は育てるから、骨でも何でもいらないところがなく、幼すぎて力が足りないというところもない。とてもいい状態なのです。
その骨を炊き出したものを気が遠くなるぐらい長く煮て漉(こ)したスープが、あらゆるものの中に少しずつ入っています。例えば、肉を焼くでしょう。すると、肉の汁が出ます。フライパンや鍋についている肉の汁は肉のエキスだから、それを使わない手はない。少し赤ブドウ酒を入れて、子牛のフォンを入れて、それを肉の上にかけるのです。
そういうものを、普段食べてきた人とそうでない人では、大きな違いが出てくるのは当然ではないでしょうか。
日本で言えば出汁ですか。
辰巳 坂本龍馬はあら汁を食べていました。鰹(かつお)の中骨を叩いて、臭みをとるためにネギを放り込んで、味噌汁にして飲んでいた。あの並外れた弾力性のある考え方や行動力は高タンパク食からきていると思います。おそらく、土佐の人の脳は代々そんな食事をする中で進化していったのでしょう。
吉田松陰は非常に冷徹にものを考えられる人だった。あの方は萩ですから、白身魚の地域の人です。
そんなふうに、食べ物とその人の人生とは切り離せないものなのです。
でも、今は出汁を引いて毎日のお台所をまかなう方はどれだけいらっしゃるでしょうか。みなさん、それがいいことは分かっていても、手足が動かない方が増えました。
それは、いのちとは何か、生きるとは何か、自分が存在することの意味を問うといった生涯の命題を考え続けるような「生命観」が確立できていないからではないでしょうか。
宮沢賢治はメモのような詩の草稿に、「手は熱く足はなゆれど、われはこれ塔建つるもの」と書きつけました。1人ひとりが、自分が立てる塔は何かを問う必要がある。
その根源的な問いかけは簡単に答えが出ないので、いつの間にか棚上げにしてしまう。でも、時々棚から降ろして、自分がどこまでそれを考えつめたかということを見定めなければならないと思います。
先生は「良い食材を伝える会」や「大豆100粒運動」をなさっていますね。
辰巳 「良い食材を伝える会」は約15年前にポストハーベスト(収穫後に使う農薬)の恐ろしさに気がついて作りました。アメリカから農産物を輸入する際、日本の政府も商社もポストハーベストのことを調べないに等しかったのです。
当時、私はスーパーミールの工夫をしていました。これは、7種類の穀類、豆類、胚芽類を配合して低温ローストし、ヨーグルト漬けにしたもので、私の朝食のスタンダードです。このスーパーミールに含まれる繊維をもっと増やそうと思って、あんこ屋から、あんこを作った後の小豆の皮をもらってきました。その皮はあんこ屋でさんざん洗われていますが、もう一度洗いにかかったところ、1分もしないうちに、背中に痛いような痒かゆみが走ったのです。手伝っていた若い人も猛烈な痒さで悲鳴を上げました。これはただごとではない、と思ったのですが、その原因がポストハーベストだったのです。
その小豆は、アメリカではなくて、中国かどこかから来たものでしょう。それにしても、恐ろしい体験でした。
その話をある料理研究家の方に話したら、その方は豆腐屋へ行って、「あなたたち、その大豆を触っていて何かある?」と聞きました。すると、「痒いよー」と言ったんです。痒いけど、しょうがないから豆腐にしている。つまり、そんな大豆でもって豆腐や味噌や醤油ができているわけです。
私はこの経験をするまで、自分だけは悪いものを食べないようにと気をつけていました。だけど、“親子2代、食にかかわってきて、そういう利己的なことをやっていてはダメだ”と思って、「良い食材を伝える会」を作ったのです。
「良い食材を伝える会」は、品質が優れていて、おいしくて、安全な国産の産物や加工食品を発掘し、それを日本全体に広く普及させ、次の世代に伝えていくことを目的としています。「食文化とは、あらゆる文化の母体である。必ず生命を守りうる食材を次の世代に贈っていきたい」という私の願いに賛同する会員約500名に支えられ、今日まで続いています。
これは、学童に手のひら一杯、大体100粒の大豆を学校や地域の畑に蒔(ま)いてもらい、その生育を観察・記録し、収穫物を食べてもらうのです。その目的はポストハーベストから子どもたちを守ることです。
今、約300校で2万人を超える子どもたちが大豆を蒔いてくれています。なかなか広めるのも難しいし、これで大豆の自給率が高まるということは期待できないけれど、いよいよとなった時、大豆を蒔いたという幼い時の経験が活かされるだろうと期待しています。
それと、人間は関係性の中で成長します。生産者の方が農業高校の学生を指導してくださることがある。その農業高校の学生がノウハウをつかんで、小学校に指導に行ってくれる。とてもうれしい話です。こういうところにまだ希望がありますね。 (2013/4/11 つづく)
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