魚柄 多分、僕ほどよそのお宅の冷蔵庫をたくさん見てきた人間はいないと思うんですね。普通、冷蔵庫は家庭のプライバシーですからあまり他人には見せたくない。でも料理のプロの僕の場合、「そこにあるもので何か作ってくれない?」って頼まれちゃうんです(笑)。
そうして扉を開けてみると、もう今日中に使ってしまわないと明日腐るというものばかり。野菜もしなびて肉もあぶない、卵もそろそろ……だいたい8割方がそんな食材です。何のためにここまで買い込んだのか分からない。別に人里離れた山奥じゃなく、毎日買い物に行ける場所に住んでいる人たちなんですよ。
中には夫婦2人暮らしで冷蔵庫5つ持っている知人もいます。完全にトランクルーム化してますよね。冷蔵庫を開けると味噌が4つくらい入っていて、みんな封が切られて口がカピカピに乾いている。「どうして使い終わってから次のを開けないんだ?」って聞くと、「だってレシピに西京味噌って書いてあったから」って(笑)。
本を書く少し前に、カミさんの田舎の実家に遊びに行ったんですが、お母さんは80歳の1人暮らしなのに400リットルの巨大な冷蔵庫がパンパンで、その9割方を腐らせてるんです。腐敗した鶏肉からガスが出てパッケージが膨らんでたりとかね。
冷凍庫なんか手前の10cmから奥はガチガチの永久凍土と化していて、ドライヤーで氷融かして中のもの引っ張り出したら、なんと1994年の冷凍コロッケも出てきた。臭いのする古い卵を捨てようとすると、「若いもんは食べ物を大事にしない」って(笑)。
お年寄りは食べ物を粗末にしてはいけないという気持が強いですから、なんでもかんでも「もったいない」と冷蔵庫に詰め込んでは次々と腐らせていくんです。こうなると冷蔵庫はトランクルームというより、もはや墓場です(笑)。
まぁ、これは極端な例ですが、僕が見てきた多くの冷蔵庫も含め、今日本中の冷蔵庫は大なり小なり同じような境遇にあるわけです。中に何が入っているか住人も正確には把握していない。新しい野菜を買ってきては冷蔵庫のしなびた野菜を捨ててしまう。食べ物を大事にする、使い切るってことをしないんですね。だから日本人はここで一度懺悔(ざんげ)しないとしょうがないだろうと。そんな思いを込めて本の帯には「食べ物さん、ごめんなさい!」と大きく入れました。
魚柄 本を書いてる時僕はちょうど50歳だったんですが、その僕が生きてきた50年間に日本人の食は大きく変わっていったんですね。加工や冷蔵・冷凍技術、流通の進歩によって世界中から節操なく食糧をかき集め、今じゃ国をあげて「お取り寄せ」して食べてるわけです。そうして1960年代には70%あった食料自給率は39%にまで下がってしまった。
ところがその少ない自給率をかろうじて支えている人たちの所得なんか国は全然保障してないし、思いもかけてない。消費者も
結局、生産はよその国に丸投げし、そこの貴重な水や土地を使わせ、化石燃料も大量に消費させている。自分たちはというと、外食をしては食べ残し、次々と食品を買い込んでは冷蔵庫に押し込んで、使い切らずに腐らせる。
気がつけば日本人は歴史上もっとも恥知らずな国民になってしまったんですよ。だから僕が言いたかったのは、日本人ここで1回立ち止まろうよ、自分の暮らしを見つめ直して、ちょっとはスケールダウンしようよ、と。環境問題を考えるなら、まずは家の冷蔵庫を見直すことから始めてほしいですね。
僕は口で言うより自分でやってみせなきゃと思って、本当に必要なものだけを買う生活を実践しています。カミさんと2人暮らしのウチの冷蔵庫は200リットルくらいの中型2ドアですが、それでも大き過ぎるくらいですよ。
僕はこの30年余り3食すべて、会社勤めのカミさんの弁当まで含めて自炊でやってきましたが、今じゃ食費は1人9千円を切って7千円ちょっとかな。それでも刺身はしょっちゅう食べるし、朝食も10品以上がズラリと食卓に並びます。豆や雑穀、根菜類もよく食べるから栄養バランスもいい。たまに仕事で外食せざるをえなくなると、胃腸の調子を崩すほどです。
加工食品も醤油・味噌以外はすべて手作りですから、よく「手間暇かかって大変でしょう」と言われるんですけど、僕の1日の調理時間は弁当まで入れて朝35分、夜30分で後片付けまでキッチリ済みます。だからガス代も非常に安い。ウチにはエアコンもなくて夏場もうちわや扇風機で過ごしてますから、光熱費は月5千円くらい。年間の生活費は大体36万円もあれば暮らせるんですよ。今、持ち家で家賃がかかりませんしね。
魚柄 僕は仕事で家に籠(こも)って、10日間くらい、いや1か月くらい買い物行かなくても平気ですよ。乾燥した野菜はたっぷりあるし、もやしも栽培しています。冷蔵庫の魚は味噌や酒粕に漬けてあって、順番に食べごろを迎えますしね。東京のど真ん中で暮らしてますが、「ここは食糧備蓄基地なのか!?」って友人によく言われます(笑)。
―― 学生時代から自炊を始めたとのことですが、もともと料理好きだったんですか?
料理好きではないけど、実験好きではありました。理科の実験大好きで、小学校5年生の夏休みの自由研究は「ものが腐る過程」。パンとかご飯とかが腐っていく様子を写真に撮ったりスケッチして、観察日記つけてました。「カビの花が咲きました」とかね(笑)。
子供時代から変わってましたが、ともかく仮説を立てて実験するのは面白かった。台所って楽しい実験室じゃないですか。しかも成功すればおいしい食べ物にありつける。「何で肉が腐るのか?」「水分があるからだ」「じゃ、干せ」と。貧乏だった学生時代はパンの耳やら肉やら、ともかくいろんなものを干しまくりましたね。
もどき食品もよく作りました。マヨネーズが食べたかったけど卵は高かったから「卵ってタンパク質だよね……じゃ、大豆も同じじゃん」って、ゆでた大豆を練ってチーズもどきやマヨネーズもどきを生み出しました。後で卵アレルギーの子供に喜ばれましたが、「おじちゃんはね、キミのために長年研究して作ったんだよ」とほくそ笑んだんです(笑)。
食が便利になって冷蔵庫が巨大化してくるうちに、みんな考えなくなった。どうすれば長く保存できて、どうすればもっとおいしくなるのか、頭を働かして考えることを放棄してしまったんですね。
子供のころからそんな光景を見て育った影響もあるんでしょうが、僕はまず魚を買ってきたら頭と腸を落として、洗って塩を振り冷蔵庫に入れます。普通の人はそのまま放りこんで痛ませるだけですが、ウチの冷蔵庫では熟成していきます。さらにその塩漬けの魚に酢を加えれば、発酵して熟(な)れ鮨(ずし)みたいになって3週間くらいは平気で持ちます。ウチの冷蔵庫の中では食べ物は劣化せず、むしろ付加価値がついていくんですよ。[2008/10/23](つづく)
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