6月にブラジル・リオデジャネイロで国連の持続可能な開発会議(リオ+20)が開催されました。この会議に環境団体が有機農家に参加を呼びかけ、それに応えて福島県有機農業ネットワークの菅野正寿(すげのせいじ)さんと杉内清繁さんが、世界に向けて福島県の現状と有機農業による再生への取り組みを発信してきました。今回は、リオ+20の報告とともに、有機農業を中心とした持続可能な循環型の地域づくりとは何か、またそれを進めるために何をしたらよいかを、農家、生産者、消費者、首都圏の市民団体とともに考えるというものです。
環境を浪費する都市、環境を生産する農村
「これまで、環境問題を語るとき、都市に暮らす人ばかりがしゃべって、農家は何も発言してこなかった。でも、環境をつくり守っているのは農家ではないか。水も空気も土も森も、すべて農家が守ってきた」。有機農家としてリオで発言した理由を福島県有機農業ネットワークの理事長・菅野正寿さんはこう語りはじめました。そして「田畑は、コミュニティの原点であり、若者の仕事、壮年の、年寄りのそれぞれの仕事が田畑にあって、みんな一緒になって働く労働の場であり、家族のコミュニティがあり、食教育の場でもあった」と続けました。「それは、つながりを大切にし、共に生きるという有機農業的な考え方が支えになっていた。福島の復興も、農村の有機的なあり方で考えねば、実現できないだろう。一部の県で始まっている大手資本による施設での農業化や、水耕栽培での植物工場などをつくるやり方は、外食産業や都市の消費者に喜ばれるかもしれないが、地域の真の復興にはならない。原発と地域経済の問題の解決は、資本投入ではなく、身の丈にあった経済活動、小規模水力発電やバイオ燃料の利用等に加え、農村のコミュニティの力と農家の知恵で里山再生を今後やっていかねばならない」と結びました。
大きな後退、かすかな希望
福島県有機農業ネットワークの副理事長・杉内清繁さんは、「原発が甚大な環境汚染を引き起こしたことを大きな声で言いたかったが、国によって原発に対する考え方に温度差があって、単純ではなかった」と話しました。長くブラジルに住む日系人は、「自分はブラジル人である。その立場とアメリカから受けた屈辱からいえば、原発があることで核の力を持つことができる。それは国家の力の均衡を保つのに不可欠」と発言したことを報告。1992年の地球サミットで、「どうやってなおすか分からないものを、壊し続けるのはやめて」と12歳のセヴァン・スズキさんが訴えてから20年。世界規模での経済不況で世界が大きく変わり、先進国が環境問題に対して実効性のある取り組みができなくなり、責任が果たせなくなったことが、環境問題に関して「大きな後退」だが、南米などの小さな国の経済発展を求めない生き方に「かすかな希望」を見出したということでした。
市民皆農で農村とつながる
こうした報告を受けて、「都市と農村をつなぐ持続可能な循環型社会をともにつくるために」をテーマにしたパネルデスカョンでは、「かすかな希望」は、日本の農村にモデルがあったもので、震災によって大地や建物が破壊されたとしても、その精神や技術は途切れさせてはならないという視点から議論されました。コーディネーターの大江正章(コモンズ代表・ジャーナリスト)さんが、「市民農園を実践者は、全国で200万人にのぼり、この数は、農業就業人口261万人(2010年)に迫っている。あるアンケートによれば、家庭菜園をやりたい人は820万人と推定され、この数を加えると、15〜80歳の日本人の4人に1人が、土を耕したいと願っている。すでに都市でも、市民農園などの整備がされてきており、市民が農に親しみ、環境をつくることで、農のプロである農村とつながることが可能ではないか」とまとめました。
最後に、全国有機農業推進協議会理事長の金子美登さんが、埼玉県小川町の循環型のまちづくりを紹介し、「食もエネルギーも自給し、さらに小さくても食の産業を地元で起こすことが、これからますます求められるだろう。先進事例はたくさんあるので、情報交換していこう」と呼びかけました。なお、福島有機農業ネットワークは、農業者、消費者、研究者、団体が協力し、放射能の測定、その分布と動きの解明、農の営みを通しての実証に取り組み、生産者と消費者に安心と希望を与えているとして、第36回山崎記念農業賞を受賞しました。
山崎農業研究所 http://yamazaki-i.org/ 第36回山崎記念農業賞 http://yamazaki-i.org/yama_activ.html
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