千葉さんは、元システムエンジニアで1977年生まれの33歳。高知県にある「有機のがっこう 土佐自然塾」 の3期生で、昨年4月から神奈川県愛川町で1.4haを耕すフレッシュな有機農家だ。最先端の職を捨てなぜ農業に転じたのか、千葉さんは率直にこう語っている。
生きている実感のない都会の生活
▶ 「農家になる前は、実はすぐそこに会社があるのですが、8年間サラリーマンをしていました。サラリーマン生活をしていて、何か自分が都会で飼われているというか、毎日の通勤、その時間の無駄、いつのまにか年を取っていく、このまま定年を迎えて何もすることがない、というような人生は嫌だなと思っていました。自分の楽しみは毎年妻と海外旅行に行くことで、良く東南アジアに行っていました。東南アジアで見る景色は、本当には見たことはないのですが、昔の日本のような景色が広がっていて、太陽が昇ったら農作業をする。そんな生き方が一番幸せではないかと思ったのが農業を志すきっかけです。じゃあ、何をしたら良いのだろうと調べ始めて、東京に住んでいた時に食べていた野菜が、美味しくないなと。それだったら、良いもので美味しいものが出せれば、これは勝負になるのではないかというビジネスの観点と、自分がどうやって生きていくのかというこの2つが一致した時に初めて、自分は農業で生きていけるのではないか。そして自信を持って出すのならば、有機でやりたいと思いました」
専業農家はひとり
千葉さんの農園がある神奈川県愛川町は、神奈川県中央北部に位置し、都心から50km、横浜から30km。丹沢の東端にあたる仏果山を最高峰とする山並みが連なり、相模川と中津川にはさまれた標高およそ100mの台地が広がっている。東西約10q、南北約6.7q、面積は34.29kで人口は43,000人。畜産、果樹、鑑賞花栽培が盛んな地域で、なかでも畜産の産出総額では神奈川県内で1位となっている。しかし、都市化の波は、農業人口や農地面積を急激に減少させ、さらに高齢化、農業後継者の不足などで耕作放棄地も目立つ。相模原市や厚木市などの一大消費地を控えており、都市型農業の可能性は高いことで新規就農者の受け入れが積極的に行われている。
千葉さんが、縁もゆかりもない愛川町に就農を決めたのは、広い農地を無料で借りられたこと。自然環境がよかったこと。愛川町農業委員会の事務局長との出会いなどをあげている。神奈川県では約100人が就農。愛川町では5人が昨年農業をスタートさせている。しかし、1年を待たずして1人が農業をやめ、3人が兼業農家となり、新規専業農家は千葉さん1人となった。愛川町には、ブドウやキウイを栽培する有機農家の諏訪部明さんをはじめとする有機農業研究会があり、消費者がつくる「安全な食を考える会」などがある。地元にとっては、貴重な有機農家の誕生ともいえる。千葉さんは当時を振り返り、新規就農の難しさをこう語っている。
農地・家・お金のハードルを越えて
土との格闘の1年
千葉さんの農地は、6箇所と点在してはいるが車でなら10分で回れるところにある。高知県の山下農園もいくつもの小さな畑が山間にあって、その畑の土の状況にあわせて作付けしているが、その経験が生かされた。まず、それぞれの畑の土壌診断を行い、pH7〜7.6の中性からアルカリ性の土壌では、油粕、緑肥としてソルゴー、クローバーなどを植えて、2か月後に刈り取って外に持ち出した。するとpHは6近くまで下がった。一時的なことかと思ったというが、現在でもこの数字を維持している。pH7以下の畑には、地域から出る豚糞や鶏糞を投入したが、「ニオイがするから入れないでくれ」という予期せぬクレームに合う。そこで、肥料を入れずに作付けした。そのお陰で、それぞれの畑の土がどれぐらいの地力があるかが把握できたという。実際、長い間作物が植わっていなかった土地は痩せていて思うほどの作物ができなかったが、夏には、ジャガイモ、キャベツ、クウシンサイ、エダマメ、トウモロコシ、トマト、キュウリ、ズッキーニ、ピーマン、カボチャ、ショウガが出荷できた。冬は、カブ、ダイコン、ミズナ、ナガネギなど。年間40〜50種類を作付けし、適地適作を見つける1年だった。トマトの品種「アイコ」は山下農園ではうまくできたが、愛川町ではうまくいかなかった。キュウリの自然農法種子「ばてしらず」は大収穫だった。とにかく「良いものをつくれ」「そのあとに販路は考えろ」「先に販路を考えて自分を小さくしていくよりは、まずは畑に出て、土と格闘して、自分に厳しくやっていくことが大切だ」という山下塾長の言葉に従ったのだという。不安がなかったわけではない。しかし、意外な展開が千葉さんを待っていた。その話を千葉さんはこう語っている。
魚リサイクル堆肥と出会う
千葉さんが、蒲鉾ができた後に廃棄される魚の骨や皮を堆肥にした魚肥「うみからだいち」(海と大地をつなぐという意味)を使った野菜を出荷しているのは、鈴廣が経営するレストラン「えれんなごっそ(小田原市風祭)」だ。「鈴廣」では、ここ数年、水産業と農業を関連づけた産業モデルを構築して自然の循環の再生を行う魚肥の開発とそれを使用してくれる農家探しを行っていた。魚肥は完成したが、農家がなかなか見つからなかったが、世の中が有機農業ブームになるにつれて、農家の反応は少しずつ変わり、魚肥を使ってくれる農家が現れた。千葉さんもその1人で、「魚肥」を使った野菜は、味がよいと評判になっている。ことに千葉さんのニンジンは、レストランに併設する売店で販売しており、「レストランで食べたニンジンが欲しい」というリクエストがくるほどの人気だ。
人生は自分で切り拓く
▶ 「就農して、今一番良かったなと思っていることは、自分は生きているなと感じること。自分の足で生きているんだと。サラリーマンの時はどうしても人の力で生きているような、何で自分の仕事がお金になっているのか分からないような感覚があったのですけれども。今は自分で育てたものがお金に代わって、それを人が食べた見返りでお金をいただいている。それで自分が生活していける。もちろん自分で食べて、何かそういう生活をした時に、「あっ、生きているのだな」という実感をすごく持っています。土の上に足を置いて手や機械で作業をしてやっていると、1日1日がとても有意義な気持ちです」 「最後に今就農したいと思っている方に伝えたいことは、『とにかくまず、自分ができることを行動してください』ということです。自分は、ずっと適当に人生を歩んでいました。中・高・大は親に与えられた私立のエスカレーターに乗り、就職活動も大してしないで適当に会社に入って8年間。これまで自分で何かを選択せず、自分で切り拓くものも何もありませんでした。農業を初めて自分がやりたいと思ったもの、それを見つけたこと、そして行動したこと。良かったなと、今は思っています。行動していくと、自分が何もしなくても周りが何かしてくれたり、知らないうちに仲間がたくさんできたり、良いことづくめです。とにかく行動することが一番。いろいろ悩んだときは行動すること、若輩者ですけれどそう思います」
「最後に今就農したいと思っている方に伝えたいことは、『とにかくまず、自分ができることを行動してください』ということです。自分は、ずっと適当に人生を歩んでいました。中・高・大は親に与えられた私立のエスカレーターに乗り、就職活動も大してしないで適当に会社に入って8年間。これまで自分で何かを選択せず、自分で切り拓くものも何もありませんでした。農業を初めて自分がやりたいと思ったもの、それを見つけたこと、そして行動したこと。良かったなと、今は思っています。行動していくと、自分が何もしなくても周りが何かしてくれたり、知らないうちに仲間がたくさんできたり、良いことづくめです。とにかく行動することが一番。いろいろ悩んだときは行動すること、若輩者ですけれどそう思います」
仲間を増やしたい
千葉さんは3人家族。共に高知県の山下農園の研修生として農業技術を習得した奥さんの香恵さんと、就農を祝うように誕生した長男。今年からは、子どもを保育園に預け、夫婦ふたりで農業を営む。そんな千葉さんの希望は2つ。1つ目は、この1年間1日も休まず、必死で働いてきたが、これからは子どものためにも月2日ぐらいは休むこと。2つ目は、援農ではなく、本気で農業をする仲間をつくること。「誰かと相談しながら助け合って人に喜ばれる農業をしたい。ひとりでは農業はできない」と、千葉さんはしみじみと言う。
まったく農業を知らない若者に、有機農業の技術という「手に職」と「志」をもたせた「有機のがっこう 土佐自然塾」からは、千葉さんはじめすでに30人以上の有機農家を誕生させている。まだ千葉さんの農場を訪れていない山下塾長は、時々電話で愛弟子を励ます。「がんばってるんだってな。俺もがんばらないかんな」有機農業の世界にまたひとつ光が灯った。(小野田)
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