第1回目は、全国有機農業推進委員会会長に就任された茨城大学農学部教授の中島紀一氏に、「有機農業推進法」の意義や今後の展望についてお伺いしました。
有機農業推進法は、国と自治体に農業者や消費者の協力を得ながら、有機農業を推進する責務を課した法律ですが、従来、国が有機農業に否定的な対応であったことを考えると、このような法律がつくられたことは、画期的なことと言えます。
今までの経緯を知る私としては、180度とも言える転換に深い感銘を覚えています。本法の成立を期に新しい歴史的ステージに移行すると言っても言い過ぎではありません。
180度とも言える転換とは、具体的にどのようなことですか。日本における有機農業の始まりから今日までの経緯とその内容についても教えてください。
当初、有機農産物は、市場ではほとんど評価されず、生産者と消費者が提携する形で成り立ってきました。それが次第に、消費者の安心・安全志向の高まりと、有機農業を行っている生産者の地道な活動とが結びつき、社会的広がりを持つようになり、2000年には有機JAS制度として法制化されるようになりました。しかし、この有機JAS制度は、農産物の商品取引における表示規制を旨とする法律であり、有機農業の本旨とは食い違うという側面もあります。
もともと有機農業は、生活自給の再建を志す取り組みであり、生産物の販売は自給を超えた部分のお裾分けする形が望ましいというのが有機農業者の共通した思いなのです。単なる商品取引ではなく、命を育む食べ物の流通であってほしいと願っていたのです。
こうした中、「表示管理だけが先行するのではなく、生産振興を優先させた総合的な有機農業推進施策の確立が必要だ」という声が高まりました。また、当時の農政によって日本農業が押しつぶされてしまうという強い危機感を起点として、全国の有機農業関係者に呼びかけ、「有機農業振興政策の確立を求める緊急全国集会」を開催し、新たな社会運動へと展開していったのです。
その社会運動の中に、中島先生が代表を務める「農を変えたい!全国運動」の存在もあるわけですね。
この運動は2004年に始まり、「有機農業政策の確立を求める緊急全国集会」の開催を期に、具体的な運動となっていきました。単なる反対運動ではなく、新しい農と社会をつくり出していく運動として、また、新しい時代を拓く運動として進めていきたいとの思いがあります。
社会運動から始まった有機農業が、国の法律になるということは、まさに画期的なことですね。
法律の施行に続き、国では有機農業振興策に昨年度の約10倍となる、4.5億円という予算を充てましたし、農水省が事務局となり、生産者や消費者、流通、学術などの専門家など16人で構成される「全国有機農業推進委員会」も昨年12月に発足されました。国もいよいよ本腰を入れてきたと言えます。
国としての有機農業に対する認識は、推進法制定、基本方針策定前後で大きく変わりました。その中でも評価すべきことは、「有機農業は、民間の有志が熱心に進めてきた正しい農業の取り組みであり、それに関して技術開発面でも支援していく」ということが、農水省技術陣の幹部が明確にしたことです。
もちろん認識の程度はまだ浅く、不十分ではありますが、国の立場として制度のみならず、気持ちの上でもこうした切り替えがスムーズに進んでいるので、成果が上がっていると言えるでしょう。
この法律は、大きく捉えると日本の未来を救うとも言えるものですね。
そうです。この法律により有機農業を推進することで、日本農業全体の仕組みを変え、国民の食生活もより良いものにしていくという展望が示され、さらに、有機農業が1つの特殊農法ではなく、日本農業の進むべき方向の中に組み込まれたと言え、農の本来のあり方を取り戻していく取り組みとして位置づけられたと思います。
日本農業全体の仕組みを変えるほどの期待が込められている有機農業ですが、「有機農業とは何か」という基本的なことは、意外と知られていないようです。
有機農業とは、農薬や化学肥料を使わない農業という意味だけではありません。自然を傷つけないだけでなく、作物の生きる力を引き出し、健康な食べ物を生産し、日本の風土に根ざした生活文化をつくり出す、農業本来のあり方を再建しようとする営みです。また、基本理念には、身土不二の考え方も入ります。そこでは、自給的な、風土的な暮らし方が重視されます。
技術的には、有機農業を取り組んでいくことで、自然と共生した正常な生態系がつくられていき、作物が健康に育ち、病気や害虫の被害を受けないような力を持つようになります。さらに、周囲の環境条件も害虫が大発生することを抑制していくのです。
国の基本方針の中には、2012年までの第1期の重要取り組み課題として、民間との協働による技術開発の推進が位置付けられていますね。
それは例えば、環境を守るために生産性を無視するということではなく、有機農業の取り組みは、環境、食、暮らしを豊かにし、同時に生産力向上を実現していく農業本来の王道を歩もうとしています。 これは、固定的な規格基準論への対応ではなく、取り組みと時間の積み重ねの中から、安定的でさらに活力のある生産体系を拓き拡げいこうとする営みです。このようなことから、自然との結合から離れ、外からの資材導入に依存している近代化慣行農業とは、技術路線において根本的に異なります。実現させようとしています。
中島先生は、有機農業推進委員会委員長や有機農業学会会長などのお立場から、近代慣行農業を進めてきた国側と、様々な意見交換をされていると伺っていますが。
私も関わっている、民間の有機農業推進団体の全国的連携を図るために設立された「全国有機農業団体協議会(全有協)」(現在は、NPO法人全国有機農業推進協議会、代表:金子美登氏)と農林水産省とは、何度か意見公開会をしています。また、中央農業総合研究センターなどの独立行政法人とも会合を持っています。
その中で、国側の有機農業に対する認識は変わってきていると思います。注目すべきは、農林水産省の染英昭技術総括審議官が新聞のインタビューで、「有機農業に科学の目を当て、普遍化していく作業から取り組む必要がある」と答えていることです。私が先ほどまで述べてきた有機農業に対する認識を踏まえて、技術論の解明がなされていくことに期待したいです。民間との協働活動にも成果をあげて、誰でも安心して取り組める有機農業技術が各地に定着していくことを願っています。
各都道府県では、5年以内に具体的な有機農業推進計画を策定することになっていますが、私たち消費者にまで浸透していくには時間がかかると思います。
様々な場所で「有機農業勉強会」を行い、都道府県推進計画策定に向けて、都道府県ごとに有機農業ネットワークを中心とする地域社会ビジョンづくりの体制をつくっていかねばなりません。そのためには、有機農業を環境負荷低減農法に枠にとどめることなく、有機農業関係者を中心としながらも、教育・学校給食、環境・エネルギー関係者、福祉・医療関係者等の幅広い人々が、まずは都道府県単位に結集し、地域の実情に応じたビジョンを策定し、市町村単位でグローバリズムの大波に対する防波堤を築けるような人間関係をつくらないといけませんね。
先ほどの「農を変えたい!全国運動」との連携など、今後、民間の様々な団体や個人、そして行政とのコミュニケーションはますます活発になっていきそうですが、今後の展望をお聞かせください。
全国段階の取り組みとしては、先ほど紹介しました「全有協」があります。これは、昨年10月には、有機農業推進の全国拠点としての役割を果たそうと、NPO法人を取得しました。 また、有機農業技術の開発普及に関しては、2006年6月に「有機農業の技術確立のためのネットワーク」がスタートし、昨年6月には同じくNPO法人を取得し、「有機農業技術会議」(代表:西村和雄氏)が設立されました。さらに、有機農業者の同志的結集の場として、2006年12月に「全国有機農業懇話会」(代表:尾崎零氏)が設立されました。
長期的には、昔から言われている生産性だけを考える農業やお金の論理ではなく、命を支え、環境を育て、文化を創る農業だということを鮮明に打ち出すべきだと思います。経済ではなく生活の論理を大切にしないといけません。 農業生産体制に関しては、有機農業、環境創造型農業の模索、実践が特に強調されるべきだと思います。それに関して、全有協は、新しい有機農業の担い手を発掘、支えるべき政策をつくる提言をしていきたいです。
豊かさと環境はトレードオフではなくて、共生関係にあるのです。人間が生きることで環境が良くなり、環境が良くなることで人間が豊かに生きるという営みの路線に、社会の営み全体を転換することできるのが有機農業だと思います。いわば日本を救い地球を救う道であるから、これに対して国家が支持し、支援の策を講ずることは合理的なことです。 有機農業を全国的に展開していくのには、多少時間がかかると思いますが、有機農業をやることによって、国土がつくられ、国民の健康が保障され、子どもたちへ文化が継承されていく、今の農業の最終的危機に対する処方箋であると思っています。
多くの方々の力が結集して、有機農業推進に向けての大きなうねりになりそうですね。本日はお忙しい中、ありがとうございました。
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