お金より 永続的な技術援助を タイ国にEMが普及したのは、19年前。長年タイで自然農法を広めてきた世界救世教の湧上和夫氏(故人)が、EMの開発者比嘉照夫教授に協力要請をしたことに始まります。湧上氏は1963年に沖縄からタイに渡りましたが、タイの大僧正から「単にお金や物を恵んだりする社会福祉活動は、タイの国民をだめにする。本当にタイの国民を助けたいと願うなら、自分の足で立ち上がれるような援助をすべきである。農村の青少年に自然農法を中心とした農業教育をしてほしい」と投げかけられ、「農業人材育成国際センター(現:自然農法研修センター)」の構想を温めていました。 比嘉教授の協力を得た湧上氏は、首都バンコクから車で2時間のサラブリ県に約40万坪の土地を購入。鍬も入らない荒地を開墾し、比嘉教授の指導の下で「農業人材育成国際センター」がつくられました。ここで、高原野菜やバナナなどの果実、養豚、養鶏、魚の養殖などEMを使った複合農業の方法を研修しています。農家や学校関係者、政府や軍関係者をはじめ、タイ周辺のアジア各国からも研修希望者が訪れ、その数は10万人を超えると言われています。 国家プログラムに EMが導入された 当時のタイは、工業化が進む一方で農村は疲弊し、ことにタイ東北部の農業地帯では、グロバリゼーションと消費文化の嵐が襲い、さらに農薬による中毒被害もあって、病と多額の借金に農民は苦しんでいました。EMの普及が急激に進んだのは、1997年の深刻な経済危機に対して、足るを知る自給自足経済を確立して、安定成長と経済利益の公平な共有を行おうという、プミポン国王の呼びかけでした。 このプロジェクトは、農民が自立した暮らしができるように、①生産コストを下げる、②自給自足が可能になったら余りの作物を換金する、③農民の健康を守り安全な方法をとる、④村の中で基金をつくり必要な材料を買い互いに分け合う、などといった内容です。 今では「足るを知る経済」プロジェクトは、政府、民間組織を問わず、国を挙げて推進されており、今回発表したチュラデート・チッタウィン陸軍大佐によれば、「EM技術が成功の速度を確実にあげている」とのことです。特に、EMを実践指導した中心人物の1人であるピチェート陸軍少将の部隊などは、東ティモールに平和維持軍として派遣され、地域住民にEM技術を使った農業指導を行ない生活向上に貢献したとして、国連で大きな話題になったほどです。 米の生産量があがり 輸出できるように EMが農村に貢献している1番の理由は、なんと言っても農薬を使わずに収量をあげ、余剰の米などをヨーロッパやアメリカに輸出しているという点です。 ウボンラチャタニー県の教師コーウィット・ドークマーイ氏は、「地域にあるワラ、米ヌカ、畜糞を材料にEMボカシを農家が共同でつくり、生産コストを下げることに成功した。一例をあげれば、120日で収穫し、化学肥料を使った時に比べて4倍の収量を得ることができた地域もある。米の収穫と共に大量のワラをEMボカシづくりにリサイクルできる」と発表しました。 EM活用によって、劣化した土壌の改良が可能になったこの地域では、IFOAM(国際有機農業運動連盟)から認定を受けた米が年間2000トンもヨーロッパに輸出されているそうです。 タイでは、田んぼは魚の養殖場としても大切な役割を持っていますが、EMの活用により、水が腐りにくいためか、食用カエルやナマズなどの成育も早く、生臭さもないと市場でも好評です。また、EM処理している田んぼの水を野菜にまくと生育が良く、「田んぼが生物資源システムの中心的な役割を果たしている」と、様々な農業関係者が証言していました。 タイ特産の果樹も 収穫、品質もアップ 収穫量の増大は、米ばかりではなく、タイの特産である果樹にも言えます。チャンタブリー県のサワット・カムジャルーン氏は、自身が経営する大規模農園を、EMを応用した果実栽培の学習施設として公開しています。サワット氏は、EMを使った成果として、果実の形も食味も良いこと、さらに収穫量が増えたこと、有機Qマーク認証がとれたことなどをあげました。 さらにサワット氏は、「パパイアやバナナ、オレンジ、竜眼などが順調に輸出できている」と報告。中でも、ドラゴンフルーツは、バンコクや中国のデパートに高値で取り引きされ、ゴールデンバナナは日本にも輸出されており、「味がまったく違ってきた。化学肥料がなくても、こんなにおいしい果実ができることを知ってほしい」と結びました。 学校から情報発信 自給自足の方法 「足るを知る経済」プロジェクトでは、裏庭の経済と呼ばれる、家垣の周りに野菜や果樹を植え、魚を養殖して、自分で養い食べる生活をすすめています。 タイ東北部のサコンナコーン県にあるロムガム学園の教師、サエム・プンセーナー氏は、貧困化に苦しんでいる人々を救済するために、学校現場からこのプロジェクトを推進している1人です。 その方法は、家の側に池を掘り、底に黒いビニールシートを敷き、池のまわりに野菜を植えます。EMを使うと短期間で、池がビーオトープ化して、自然の生態系が出現します。そこに魚を養殖し、池の水で野菜を育てると、家族が食べていくことが可能になります。学校で行うEMワークショップでは、生徒が保護者に研修し、その数は1年間に1000人になったと言います。 研修はすべて無料ということもあり、保護者は全員参加しています。3か月後、学校で学んだEM技術がきちんと使われているかどうか、村の各家庭をバイクで回るサエム教師は、「自分の食べるものを自分でつくれば、お金が出ていかない。しかも、市場で買うよりも、魚や野菜は安全。残ったお金は、銀行に預金する。子どもたち自身が、貧しさから抜け出す方法を身につけることが何よりも大事だ」と話しました。 タイ人による 自然農法と環境研修センター スパンブリー県のチャリヤオ・パーンニャム氏は、「足るを知る経済」の考え方を家庭に導入する手本として、自宅の敷地内に「自然農法および環境センター」を10年前に設立し、精力的に指導にあたっている人物です。毎週水曜日に行われる食事つき無料の研修日には、タイの農民や市民だけではなく、アジアの約10か国から研修に訪れています。 研修を受けた人の多くが、果樹や野菜、魚の養殖、養鶏や豚の飼育などを組み合わせた自然循環型複合農業を実践することによって、生産量が大幅に上がり、品質がよくなり、市場で高く取り引きされるようになりました。チャリオ氏は「農民の経済が好転して、借金を返済できる人も出てきた」と報告しました。 このように、プミポン国王が呼びかけた「足るを知る経済」プロジェクトは、政府や軍隊、学校や民間などの様々な場面にEM技術が導入されたことによって、着実に進んでいます。なによりも、農民が楽しみながらEMを扱い、その効果を実感し、自分の地域で自立していこうという姿が見られたことが、今回の発表で強く印象に残りました。 次回は、環境、建築、災害におけるEM技術の活用のされ方を報告します。(つづく・小野田)
タイ国にEMが普及したのは、19年前。長年タイで自然農法を広めてきた世界救世教の湧上和夫氏(故人)が、EMの開発者比嘉照夫教授に協力要請をしたことに始まります。湧上氏は1963年に沖縄からタイに渡りましたが、タイの大僧正から「単にお金や物を恵んだりする社会福祉活動は、タイの国民をだめにする。本当にタイの国民を助けたいと願うなら、自分の足で立ち上がれるような援助をすべきである。農村の青少年に自然農法を中心とした農業教育をしてほしい」と投げかけられ、「農業人材育成国際センター(現:自然農法研修センター)」の構想を温めていました。
比嘉教授の協力を得た湧上氏は、首都バンコクから車で2時間のサラブリ県に約40万坪の土地を購入。鍬も入らない荒地を開墾し、比嘉教授の指導の下で「農業人材育成国際センター」がつくられました。ここで、高原野菜やバナナなどの果実、養豚、養鶏、魚の養殖などEMを使った複合農業の方法を研修しています。農家や学校関係者、政府や軍関係者をはじめ、タイ周辺のアジア各国からも研修希望者が訪れ、その数は10万人を超えると言われています。
国家プログラムに EMが導入された
当時のタイは、工業化が進む一方で農村は疲弊し、ことにタイ東北部の農業地帯では、グロバリゼーションと消費文化の嵐が襲い、さらに農薬による中毒被害もあって、病と多額の借金に農民は苦しんでいました。EMの普及が急激に進んだのは、1997年の深刻な経済危機に対して、足るを知る自給自足経済を確立して、安定成長と経済利益の公平な共有を行おうという、プミポン国王の呼びかけでした。
このプロジェクトは、農民が自立した暮らしができるように、①生産コストを下げる、②自給自足が可能になったら余りの作物を換金する、③農民の健康を守り安全な方法をとる、④村の中で基金をつくり必要な材料を買い互いに分け合う、などといった内容です。
今では「足るを知る経済」プロジェクトは、政府、民間組織を問わず、国を挙げて推進されており、今回発表したチュラデート・チッタウィン陸軍大佐によれば、「EM技術が成功の速度を確実にあげている」とのことです。特に、EMを実践指導した中心人物の1人であるピチェート陸軍少将の部隊などは、東ティモールに平和維持軍として派遣され、地域住民にEM技術を使った農業指導を行ない生活向上に貢献したとして、国連で大きな話題になったほどです。
米の生産量があがり 輸出できるように
EMが農村に貢献している1番の理由は、なんと言っても農薬を使わずに収量をあげ、余剰の米などをヨーロッパやアメリカに輸出しているという点です。 ウボンラチャタニー県の教師コーウィット・ドークマーイ氏は、「地域にあるワラ、米ヌカ、畜糞を材料にEMボカシを農家が共同でつくり、生産コストを下げることに成功した。一例をあげれば、120日で収穫し、化学肥料を使った時に比べて4倍の収量を得ることができた地域もある。米の収穫と共に大量のワラをEMボカシづくりにリサイクルできる」と発表しました。
EM活用によって、劣化した土壌の改良が可能になったこの地域では、IFOAM(国際有機農業運動連盟)から認定を受けた米が年間2000トンもヨーロッパに輸出されているそうです。
タイでは、田んぼは魚の養殖場としても大切な役割を持っていますが、EMの活用により、水が腐りにくいためか、食用カエルやナマズなどの成育も早く、生臭さもないと市場でも好評です。また、EM処理している田んぼの水を野菜にまくと生育が良く、「田んぼが生物資源システムの中心的な役割を果たしている」と、様々な農業関係者が証言していました。
タイ特産の果樹も 収穫、品質もアップ
収穫量の増大は、米ばかりではなく、タイの特産である果樹にも言えます。チャンタブリー県のサワット・カムジャルーン氏は、自身が経営する大規模農園を、EMを応用した果実栽培の学習施設として公開しています。サワット氏は、EMを使った成果として、果実の形も食味も良いこと、さらに収穫量が増えたこと、有機Qマーク認証がとれたことなどをあげました。
さらにサワット氏は、「パパイアやバナナ、オレンジ、竜眼などが順調に輸出できている」と報告。中でも、ドラゴンフルーツは、バンコクや中国のデパートに高値で取り引きされ、ゴールデンバナナは日本にも輸出されており、「味がまったく違ってきた。化学肥料がなくても、こんなにおいしい果実ができることを知ってほしい」と結びました。
学校から情報発信 自給自足の方法
「足るを知る経済」プロジェクトでは、裏庭の経済と呼ばれる、家垣の周りに野菜や果樹を植え、魚を養殖して、自分で養い食べる生活をすすめています。 タイ東北部のサコンナコーン県にあるロムガム学園の教師、サエム・プンセーナー氏は、貧困化に苦しんでいる人々を救済するために、学校現場からこのプロジェクトを推進している1人です。
その方法は、家の側に池を掘り、底に黒いビニールシートを敷き、池のまわりに野菜を植えます。EMを使うと短期間で、池がビーオトープ化して、自然の生態系が出現します。そこに魚を養殖し、池の水で野菜を育てると、家族が食べていくことが可能になります。学校で行うEMワークショップでは、生徒が保護者に研修し、その数は1年間に1000人になったと言います。 研修はすべて無料ということもあり、保護者は全員参加しています。3か月後、学校で学んだEM技術がきちんと使われているかどうか、村の各家庭をバイクで回るサエム教師は、「自分の食べるものを自分でつくれば、お金が出ていかない。しかも、市場で買うよりも、魚や野菜は安全。残ったお金は、銀行に預金する。子どもたち自身が、貧しさから抜け出す方法を身につけることが何よりも大事だ」と話しました。
タイ人による 自然農法と環境研修センター
スパンブリー県のチャリヤオ・パーンニャム氏は、「足るを知る経済」の考え方を家庭に導入する手本として、自宅の敷地内に「自然農法および環境センター」を10年前に設立し、精力的に指導にあたっている人物です。毎週水曜日に行われる食事つき無料の研修日には、タイの農民や市民だけではなく、アジアの約10か国から研修に訪れています。
研修を受けた人の多くが、果樹や野菜、魚の養殖、養鶏や豚の飼育などを組み合わせた自然循環型複合農業を実践することによって、生産量が大幅に上がり、品質がよくなり、市場で高く取り引きされるようになりました。チャリオ氏は「農民の経済が好転して、借金を返済できる人も出てきた」と報告しました。
このように、プミポン国王が呼びかけた「足るを知る経済」プロジェクトは、政府や軍隊、学校や民間などの様々な場面にEM技術が導入されたことによって、着実に進んでいます。なによりも、農民が楽しみながらEMを扱い、その効果を実感し、自分の地域で自立していこうという姿が見られたことが、今回の発表で強く印象に残りました。 次回は、環境、建築、災害におけるEM技術の活用のされ方を報告します。