奥田シェフを迎えての「一夜だけのレストラン2」。その食事会が始まる直前のミニ講演会でのこと。南氷洋の鯨取りの話、カナダの鮭の話、アラスカのイヌイットの話。彼の周りから立ち上るオーラは、命の気配とその循環に満ちていて、聞くものの心を癒やし続けた。 彼自身が豊かな森そのものかも知れない。本人は「ぼくは熊の生まれ変わりです」と言う。
二コルさん、びっくり!
その翌日は、「土佐自然塾」の教室で、ぼくがニコルさんにパワーポイントを使って、1時間半ほどレクチャーした。微生物や昆虫、それを餌とするキジの抱卵など、豊かな自然が見事に再生しているぼくの畑の画像にビックリ仰天、その目はまるで少年のようだった。彼は何かにつけ、すぐ少年のような顔になる。そのあと、美しい林に囲まれた山の小さな畑にでかけ、一株で百個なるカボチャ「万次郎」を見て、ウワー、スゴイ!」を連発。
子どもたちのために
そしてその夜。翌日「一夜だけのレストラン」が開かれる山荘でニコルさんと飲んだ。しこたま飲んで何を話したのかほとんど覚えていない。覚えているのは2つだけ。
その1つ。 目をまん丸くして、「ぼくには、貯金が300万円しかないんですよ」と言ったこと。あとから、その理由を天野礼子さんに聞いたら。「アファンの森財団」にすべての財産を寄付したからだとか。このアファンの森は、40年前に彼が見たあの美しい日本を取りもどそうと、そのモデルづくりに、ニコルさんが荒れた里山を買い、間伐をし、藪を切り開き、落葉樹を植え、コツコツと整備してきたもの。今では、その黒姫の森を流れる細流には、イワナが戻ってきて、様々な動物や昆虫が生息しているそうだ。
2つめ。 「山下さん、これからぼくとズ〜ッと友達でいてくれますか」いくら酔っぱらっていても、ニコルさんからこんなこと言われたら、忘れるわけがない。そのぐらい嬉しかった。驚きと恐縮で言葉もなく、ただ「うん、うん」とうなずくばかりだった。と言うことで、これからぼくはニコルさんのことを「ニック」と呼び、彼はぼくのことを「かずほ」と呼ぶことになった。ぼくたちは死ぬまで悪ガキ仲間の「Bad little kids」となったのだ。 さあ、子どもたちのために、もう一暴れしてみようかね、ニック。
やました・かずほ 1950年 高知県生まれ。28歳まで東京でドラマーとして活動。その後帰郷し、高知市内で学習塾を経営。体調を崩したためにあらゆる健康法を試してみたが、最終的に食と農の問題に行き着く。1998年 本山町にて新規就農。2006年4月 高知県と地元NPO黒潮蘇生交流会(山下修理事長)との協働で「有機のがっこう」を始め、同年12月、第1期生14人の中8人が県内で就農。今春から第2期生11人が研修中。
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外部リンク 「有機のがっこう」土佐自然塾HP http://www.tosa-yuki.com/
山下農園HP http://harehore.net/