「戦後の60数年、テメエらがろくに研究してこなかったから、まともな有機農業技術がないではないか」という手榴弾を投げることも、「このまま農業が破綻してしまえば、国民にどう責任をとるのか、今までいったい何をしてきたんだ」という、腹に巻いたダイナマイトに点火することもなく、無事終わった。
ようするに、みんなやる気満々なのだ。やる気は満々なのだが、今の農水は具体的な政策をどうたてればよいのか、それがわからないのがタマにキズ。「有機農業推進法案が先にできてしまったのに技術の蓄積がない、弱った」が本音。だから、民間の優良な事例は、のどから手が出るほど欲しかったのだ。そこに天才カズホ君がサッソウと登場したのである。
そして、この会議のリーダーの環境保全型農業対策室長をして「目からウロコがポロポロ落ちた」と嬉しそうに言わしめた。ほらね。
有機の現場に農業を救う道あり
技術的なことだけではなく、マーケティングのことも含め約1時間半の講演のあと、討議に入る前に、次のような提案をした。 「有機農業の普及には、まず正しい情報の周知が大切です。農薬がなければできないという情報と、ないほうがよくできるという情報、どちらの情報を基にするかで、当然政策は違ってきますよね。そしてないほうがよくできるというのであれば、それをどう知らしめるか。さらに同時進行的に、徹底的にウラをとることも重要です。その上で、さらなる技術の向上を図っていき、それをまた知らしめる。そのためには官民を超えた情報の共有化が最も大切になりますよね」
まず、研究者が手をあげた。 「土壌の微生物や地上部の生態系を調査させてください」 もちろん、大歓迎。 「土壌肥料と作物の出来具合との関連性も調査します」 よっしゃ、よっしゃ。
さ、今夜は新宿泊まり。カズホの現地妻友の会長でもある東京妻と、新宿3丁目でいっぱいやりますかね。蕎麦屋か、寿司屋か、イタリアンか、う〜ん、迷うな。迷うけど、シメは、ジャズバーで、ワイルドターキーのハイボール。と、これはもう、決まっている。
やました・かずほ 1950年 高知県生まれ。28歳まで東京でドラマーとして活動。その後帰郷し、高知市内で学習塾を経営。体調を崩したためにあらゆる健康法を試してみたが、最終的に食と農の問題に行き着く。1998年 本山町にて新規就農。2006年4月 高知県と地元NPO黒潮蘇生交流会(山下修理事長)との協働で「有機のがっこう」を始め、同年12月、第1期生14人の中8人が県内で就農。今春から第2期生11人が研修中。
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外部リンク 「有機のがっこう」土佐自然塾HP http://www.tosa-yuki.com/
山下農園HP http://harehore.net/