2011年3月11日、仙台市の南に位置する鈴木有機農園も、写真1のように大津波で被災しました。農林水産省は、この地域は3年間稲作をすることは困難であると発表しました。「このような状態でも、EMを活用すれば稲作は可能である」というのが私の持論であり、鈴木さんも迷わずモミをまいて育苗し始めました。
公的機関はこのような状況下で次の被災に備えるための試験を行う計画はありません。鈴木さんのチャレンジは次年度の農家のためと、後々になって類似の被災対策として極めて重要であり、歴史的な責務を負っています。
この歴史的責務と同時に、鈴木さんのプロ農家としての「消費者に対する責任」という熱い思いを実現することができれば、600万円は超々々激安ということになります。その判断に基づいて、本プロジェクトの経過説明のように井戸を掘り、写真2のように田植えをしました。
写真2
写真3 写真3のようにEM災害復興支援プロジェクトは、その他数か所で行いましたが、公的機関にも協力をお願いし、看板を立てて行いました。7月下旬、写真4の状況となり、9月上旬に写真5、写真6のように見事に成功を収めることができました。その結果、まわりの農家も次年度から稲作を再開する人が増え、今年(3年目)は何事もなかったかのように、あたり一面、秋の実りを迎えています。
写真4
写真5
写真6 この歴史的な壮挙を後生に広く伝え、これから直面するTPP対応を含め、この「絆の井戸」の今後の役割を果たすために、記念碑を建立することになり、去る9月13日に以下のように除幕式を行いました。
平成二十三年三月十一日の東日本大震災 津波で家の周りは海水とヘドロに覆われた 一面ガレキが積み重なった水田 その無残さ 鈴木英俊さんは その現実に打ちのめされた でも 彼は立ち直って 自分を叱咤し続けた 「今年 米を作らなかったらもうだめだぞ お客様には絶対ご迷惑をかけたくないんだ お客様を失うことも怖い」と言い聞かせて だが 上流は水路が破損して用水は途絶えた 下流は排水ポンプ場の損壊で全く流れない それでも 今年の稲作りを諦めたく無かった 自家の空き地に井戸を掘ったらと 考えた 彼はブログでこの惨状を映像と文で発信した 思いは通じ 比嘉照夫会長(NPO地球環境 共生ネットワーク Uネット)の知る所となり 鈴木英俊さんに力強い支援の手が向けられ 復興のための「絆の井戸」の新設が決定した 井戸の掘削を最優先にして 着工を急いだ しかし 混乱の宮城県内では施工会社は なかなか見つからず 山形県EM世話人 五十嵐 諒さんに紹介された上山市の中山 ボーリング(桜井 晃社長)に施工を依頼 深さ50メートルの井戸は五月九日着工 五月十五日に完成し 勢いよく揚水した 大きな喜びの中で復興の稲作りが一歩前進
ガレキの撤去や用水路の土砂さらい 運搬は 「てんつくマン」の軌保博光さんと仲間達が 率先して作業に当たり驚異的な捗りをみせた 大阪 奈良を初め全国の応援団も参加した 膨大なガレキを短時間に復旧した善意の力 善の輪がつながって鈴木英俊さんを支え続け Uネットは復興支援チームをあげて支援した 塩害対策チームリーダーとして 札幌から Uネット福田昭夫副委員長が来仙して活動 宮城は小林世話人 鈴木 徹 安斎かずえ 八島恒弘・静子夫妻 斎藤義樹 三浦雄子 千葉万里子の皆さん EM仲間達が集結し 連日 EMを主軸に支援活動に汗を流した
比嘉照夫会長の指導で塩害対策は動いた Uネット本部役員(吉澤文五郎 岩井節夫 芝幸一郎の皆さん)はEM資材調達と補給 塩害対策チーム西渕 泰さんは技術指導を それぞれに大きな推進力となって貢献した 一・七ヘクタールを作付け 大量のEMを 施用するため 補給体制が急がれていた このEM補給に栗原市の平野勝洋さんが 自己所有の4トンローリー車で対応した 岩手県は高橋比奈子(衆議院議員)さん の総指揮の下 岩手コンポスト社が対応 EMボカシの補給は Uネット本部を軸に 全国のEM世話人やEM仲間から募った
ネットメディアを介して情報発信を続けた DND社主の出口俊一さんの強い発信力 テレビ報道の力 東日本放送都田麻里さん 地道な塩害稲作のデータ収集を続けた 藤井 薫さん 斎藤 隆さんのお二人 荻袋実行組合長鈴木敏雄さんの積極的な 農業団体への働きかけや組合の統率力 試験圃場を提供した鈴木省吾さん達の協力 建築関係の大内秋男さん 菊池正弘さん 全てが大きな力となって稲作りを推進した
復興の夢を載せた田植えは例年より遅く 五月二十四日から三十一日に無事終了した 塩害対策を施し 圃場の塩分濃度を測定し 真夏の雨不足や稲の生育に細心の注意を 払う日々が続き 紆余曲折を経て手応えを得た そして秋には稲穂も重く「復興の稲」が実った 黄金色の波と豊穣の香りは 一帯に広がった 十月初旬の稲刈り後の 収量 食味にも満足 民間検査機関での放射能検査を依頼 結果は 放射性ヨウ素 放射性セシウム共に不検出 鈴木英俊さんの熱い「思い」が 大勢の方達の 善意を呼び ヘドロとガレキが堆積して 海水 にまみれた圃場は ものの見事に再生された 「絆の井戸」と「EM」と「善意」のお蔭で
震災と津波の恐ろしさを風化させないために 後世に伝えたい その鈴木英俊さんの思いが 「絆の井戸」記念建屋と記念碑建立に至った ここに「東日本大震災」の被災から再起した 鈴木英俊さんの復興の稲作への不屈の闘志と 彼を支援した大勢の方々に賛辞を捧げる
写真7は「絆の井戸」の社(やしろ)で、写真8は記念碑です。写真9は経過説明をする鈴木さん、写真10はテープカットをしてくれた方々です。 写真7 写真8 写真9 写真10 写真11は水田に表示されていた看板です。写真12の中央はポンプ、壁には具体的な活動について(既述)の説明版が設置され、写真13は今年の秋の稔りです。
写真8
写真9
写真10
写真11 写真12 写真13 「絆の井戸」のこれからの役割
写真12
写真13
鈴木さんの水田は、日本の多くの水田と同じように収穫期から田植え期までは、水が来ない条件にあります。不耕起、完全無農薬、無化学肥料、無除草で生態系を豊かにし、生物多様性を守り、医食同源の超高品質で多収、すなわち、安全で快適、低コストで高品質で多収の持続可能な稲作をするためには、冬水(収穫後から冬の間、水を張る方法)にする必要があります。
「絆の井戸」はこの稲作の究極のために、新たな役割を負っています。そのため年々、その成果を確かめるために、9月を中心に「未来型の稲作」の研究会を現場で行うことになりました。
このような稲作は、日本の生態系と生物多様性を守るばかりでなく、河川や海も浄化し、自然資源を豊かにし、人々の健康を根本から守ってくれるようになります。まさに「農は国の基なるぞ」ということになります。その結果はTPP対応どころか日本の米は巨大な輸出産業になり、この稲作のおかげで、多様で豊かな理想的な沿岸漁業の振興も可能となります。
おわりに、この「絆の井戸」のきっかけをつくってくれた鈴木さんと、それにかかわって多大なご協力をいただいた皆様方に、改めて敬意を表し、深く感謝申し上げます。
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