前回は、新たな展開に進化し始めたタイ国のEM普及について説明しました。その中でカンボジア、ラオス、タイの国境付近のウボン県にある麻薬栽培地帯の農民が、EMを活用した農業に転換した例を紹介しました。また、マレーシアの国境におけるイスラム教徒によるテロ事件も、EMで地域の人々を豊かにすることで解決し始めていることについても触れました。
この両者の根は同じもので貧困と差別であり、麻薬とテロとエイズは、タイ国の難題となっています。エイズについては、EM生活を徹底することで免疫力を高め、エイズの発症の予防にかなり効果的であることが明らかとなっています。またEM飲料の併用で免疫抗体が著しく強化され、健康な人とほとんど変わらないレベルを維持できることも明らかとなり、その成果は昨年11月のEM医学国際会議でも発表されました。
麻薬対策は、取り締まるだけではイタチごっこであり、根本から解決することは困難です。かつて、ケシなどは医療を含めた多くの分野で栽培されていました。ケシなどの麻薬植物は病害虫の発生はほとんどなく、雑草にも負けず、土壌を選ばず、他の作物がまったくできない土地でも、よく育つという性質を持っています。
そのため栽培には技術は不要で、当初に土地を焼き払って初期の雑草対策を行い種をまくだけで、誰でもつくることができます。農地のない人々でも、山林の一部や農地として使えない場所を活用できるため、麻薬栽培への参入は容易であり、ある程度の収入があると、辞めることが困難な状況に陥ってしまいます。
農業は一見すると誰でもできそうな気がしますが、農地を確保し、水利などを含めた基盤を整備し、土壌を改良し、作物ごとの栽培知識や雑草および病害虫対策、生産物の販売まで、多様な知識や技術や経験が必要となってきます。
余談になりますが、我が国でも建設業を中心にかなりの企業が農業にチャレンジしていますが、その大半は失敗に終わっています。タイの場合も麻薬を栽培している人々は、農業で充分に成果が上げられなかった人々や、農地のない貧困な人々や、何らかの都合で都市または他の地域から移り、麻薬栽培以外に生計を立てられないという事情を抱えています。同時に、貧困のために子どもの教育ができない。両親が病気で亡くなった。麻薬事件に絡んで子どもが孤児になった。地域社会全体の連帯が失われた等々を含め、貧困と差別が顕著になってきます。
貧困と麻薬対策に
このような状況が定着すると、その解決は困難を極め、容易なことではありません。1997年、タイ国は深刻な経済危機に直面し、都市の人々が農村へ逆流し、農村の貧困をさらに厳しいものに加速してしまいました。この難局に対し、プミポン国王は「貨幣経済に支配されない自給自足の足るを知る経済」を提唱し、各地でキングプロジェクトを推進したのです。
前回も述べましたが、この「足るを知る経済」を実現したのがEM技術ですが、キングプロジェクトは軍が中心になって推進するため、ウボン県でも貧困と麻薬対策にEMが活用され、その中心的な役割を果たしたのがピチェット大佐(当時)です。
EMとタイ国軍のつながりは、数年にわたる自然災害で困窮を極めたタイ東北部の農村の振興を目的に1989年から始まりました。サラブリ県にある自然農法アジア人材育成センターに多数の軍人を送り込んで、3泊4日でEMの特訓を行い、それを軍内で活用しながらEMの指導者を養成し、農村の救済活動を始めたのです。
ウボン県では、農家が実行しやすいように様々なモデルをつくり、わずか300〜400坪で魚やニワトリ、豚などを含め、すべて自給自足できるような高密度の営農システムも完成したのです。化学肥料や農薬や農業機械がまったく不要なこのシステムは、今ではタイの農村の小規模農家では当たり前になり始めていますが、当時としては革新的な先端技術として評価されたものです。
農家の研修も繰り返し行われ、軍のEMリーダーが農家を定期的にまわって徹底した指導を行ったため、麻薬栽培に頼らない自立農家が次々と生まれ、治安もよくなり、希望が見えてきたのです。
同時に、孤児や貧困家庭の子どもたちの全寮制の学校にEMを導入し、子どもたちの将来に向けての職業訓練と学校の自立に活用し始めたのです。小学校から高校まで1600〜1800人の学校では、すべてファミリーとして助け合い、学び合い、上級生が下級生の面倒をよくみるようになり、下級生が上級生を敬うという、教育の原点が実行されるようになったとのことです。同時に学校で習ったEM技術を親に教えるという課外活動も活発に行われ、学校の教員は全員がEMのエキスパートになっています。
国連からも高い評価
この貧困および麻薬対策のプロジェクトは、お寺のお坊さんたちも積極的に協力しており、学校、お寺、軍の三者による強力なトライアングルとなっています。仏教国のタイではお寺の行事は何をさておいても最優先事項であり、お坊さんは地域で最も尊敬されるリーダーとしての役割を果たしています。余談になりますが、タイ国の仏教協会では「EM生活」を推進しており、会長自身がソムチャイ社会開発大臣と同じようにEMを飲むことを公的な場で積極的に進めています。
ピチェット大佐は、この経験を東ティモールでもタイ国軍の総司令官として実施し、多くの難民の救済と自立に役立て、国連からも高く評価され、少将に昇任しました。その後、タイ南部のスマトラ沖地震の津波の被害処理などを含め、タイ南部のイスラム教徒のテロ対策を行う南部の総司令官となりました。
その後ピチェット大佐は少将に昇任し、ウボン県や東ティモールでの経験を生かし、南部のテロ対策の根も貧困と差別にあることを強く認識し、貧困農家の自立と健康問題の解決に取り組んだのです。当初の1〜2年は過去の経緯から、なかなか信用してもらえなかったようですが、実績が上がるにつれてテロは激減し、その功績が認められ、中将に昇任し、全幅の信頼を集めています。
2月17日、ハットヤイ空港から軍の大型ヘリコプターでパッターニー県の総司令部へ行き、その隣接したEM研修センターと地域に開放された電子治療院を見せてもらいました。一見すると、EMモデル村となっており、様々な研修が1日で終えるようなシステムになっており、1日300名で週に5日間行っているとのことでした。
昨年は12万人以上の人々が研修を受けたそうですが、私の訪問に合わせて、イスラム地域の指導者研修会も行われ、地域での活動報告や実施に関する多くの質問も寄せられました。質問のレベルもかなり高く、EM技術で貧困や差別の解決のみならず、環境や健康問題を含め多くの社会問題が解決できるという使命感にあふれていました。
タイ南部では、社会開発省も協力し、類似のトレーニングセンターをつくっており、そこでも昨年は12万人以上の研修を行ったそうです。このようなスタイルは過去に例がなく、これからの貧困と差別の解消策として、全世界のモデルになるものと確信しています。
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