それと言うのも、大家さんであるホテルの趣向がクラシカルで、アンティーク調に統一されたフロントやロビーの照明や調度品の延長にティアがあるのです。もともとイタリアンレストランが営業をしていて、ホテルの仕様に合わせて、ティア改装時にアンティーク家具を揃えたのでした。
午前7時、早朝から始まるモーニングタイムもホテルに併設された銅座店ならではの設定です。出張で横浜から来たという会社員は、「ホテルの朝食というとおざなりの物が多いのですが、ここは食材もこだわっていておいしいので食べ過ぎてしまう」と満足そう。ホテル側も「当ホテルを選ぶ条件の1つに、朝食がよいことを挙げるお客様が多いです」とティア店併設を歓迎しています。
●掴み取った“出逢い” 銅座店は平成12年、熊本本店に次いで2番目にオープンしました。2代目の店長となった久保山健司さんは地元出身で、関西で大学時代を過ごした後、一部上場会社に就職。会社の一大プロジェクトであった外食部門の立ち上げに携わり、大阪、神奈川にレストランを開店するなど、「8年間の会社勤めのうち半分が飲食関係」と言う経歴。
周囲の評価も高く、将来を嘱望されていた久保山さんですが、食に関わることで生まれてきた「安全・安心」への疑問が仕事への懐疑となっていった時期に、元岡健二社長と出会います。平成16年6月のことで、翌月末には「疑問に対する答えを得た。ティアの食材は安全だと胸を張って言える」と退職を決断。もともと独立志向が強かった久保山さんは、自ら有限会社「自休自足」を興し、同年11月に長崎銅座店のオーナー兼店長になりました。
「僕はプラス志向の人間。運に恵まれて元岡社長との“出逢い”を得ましたが、僕はその運を掴み取ってきたと思っています」と話す久保山さん。ティア・元岡社長との“出逢い”もさることながら、同時に奥様知代さんとの“出逢い”も掴み取ったようです。
知代さんは、久保山さんと同じくマクロビオテックやロハスに深い関心を持っていて、久保山さんのホームページの愛好者でした。平成18年末、マクロビオテックの料理教室でお互いを認識し、19年3月調理師学校を卒業した知代さんがティア銅座店に就職したのを機に公私共に心強いパートナーとなったのです。
●徹底した“もったいない”精神 やる気満々でスタートした若き起業家も、「やってみて分かったことですが、原材料費の高さは思いのほかで、驚きました」と苦笑い。しかし、後へは引けません。知代さんやスタッフのアイデアを取り入れながら、デザートはすべて手づくりで、料理も残り物を出さないように多めにつくったものは目先を変えて別の一品をつくり出すなど徹底して“もったいない”精神にこだわりました。
例えば、「豚の角煮」は、ヒジキとダシをとった後の昆布を入れて煮込むことによって、味にコクを出すだけでなく栄養バランスの相性も良くしていますが、さらに、多めに加えたヒジキは取り出して他の野菜と合わせ、もう1品つくり上げます。
メニューの工夫だけではありません。繁華街といっても夜8時に閉店する飲食店が多い中で、いかに客足を確保し、55席の規模をフル回転するかという課題に久保山さんは果敢に挑戦します。元岡社長の許可を得てインターネット上にホームページを立ち上げ、地元のミニコミ誌には広告を掲載、年末にパーティコースの企画をPRしたところ認知度が上がり、グループ・団体客が頻繁に利用するようになりました。
貸し切りパーティやイベント企画にも応じ、依頼があれば特別弁当(食育弁当)もつくります。今年1月には食育活動で活躍する吉田俊道さん(大地といのちの会代表)=エコピュア58号参照=が関わっている「食育祭」の、こだわり弁当240食の注文に22人のスタッフ総出で対応。「120食を2回に分けて仕込んで何とかやり遂げましたが、スタッフのチームワークがすごかった。それまではせいぜい30食の弁当づくりだったので、みんなの自信にもなりました」と、傍らのスタッフに感謝のまなざしを向ける久保山さんです。
吉田さんたちの活動には、その後も銅座店として積極的に参加、「食」を通して地域とのつながりを得ています。
●海産工房梅元の魚「跳ねる」「集う」「蘇る」 食材の中でも魚に関しては、銅座店独自のルートを持ちます。ティア各店は佐世保の“もったいない魚”を利用していますが、銅座店は地元茂木港で揚がる魚介類の中から規格外の小魚(雑魚)を扱う地元の海産問屋「(有)海産工房梅元」から仕入れています。
梅元建治さんと康志さん兄弟が経営する海産工房梅元は、化学調味料や食品添加物を一切使用しない魚の干物加工会社です。ところが、ティアに出会うまでは、茂木漁港から揚がる魚は底引き網漁法のため、種類は豊富だが規格がバラバラのため加工ラインに合わないとの理由で扱っていませんでした。
7年前元岡社長と出会い、「1匹の魚の価値を大事にするティアの精神」に心打たれた兄弟は、傷ついても小魚であっても地元で揚がった新鮮な魚を食材として活かそうと、ティアの注文に応じることにしました。当初は、「何でこんなこまいのを扱うのか、手間がかかりすぎる」と加工の現場からグチも出ましたが、今では「家族に真っ先に食べさせたいと思う干物やすり身が出来上がりました」と、自慢するまでになりました。
完成品を手にした元岡社長は、「ぴちぴち跳ねていた魚だから“跳ねる”という名前にしましょう」と提案。このほかにもすり身にしてちぎるから“蘇る”、小魚をたくさん使うから“集う”など、奇抜なネーミングが採用されています。「命には決して無駄なものなどない」と言う元岡社長に対して、「梅元にしかできない干物をつくった」と胸を張る海産工房梅元の皆さん。久保山さんは、「元岡社長からは、人や物を活かしきるビジネスのノウハウを学ばせてもらっています。こうして完成した食材を多くの人に「本物の味」として届けることが私たちの役割」と言い切ります。
●家庭料理のポイントは、たっぷりの“愛情” ところで、銅座店に入ったお客さんが着席してまず目にするものがあります。テーブルに置かれたアルバム「ティアの想い」です。実はこのアルバム、銅座店で経理を担当する葉山美祐紀さんの手づくりで、ティアに関わる生産者の方々の想いとティア各店のこだわりが葉山さんの感想や写真とともに納められています。
葉山さんは2年半前までは銅座店のお客さんで、3年間毎日のように通ってきた「ティア・ファンクラブ代表」のような女性。途中、体調を壊して入院し、退院後再び店を訪れた葉山さんを久保山さんやスタッフは、「お帰りなさい」と出迎えました。感激した葉山さんはティアの家族の一員になってしまいました。
3年間飽きずにティアの料理を味わうということは飽きのこない本物の食材や調味料もさることながら、「つくり手の『大事な家族に食べさせたい』と言う想いが味付けのポイントになっています」と話す久保山さん。「将来的には、病院や老人介護の現場に日替わり弁当を届ける企画にも挑戦してみたい」と言います。それぞれの現場で、愛情たっぷりの家庭料理を待っている人が大勢いることは確かですものね。若き起業家にエールを送ります。[2007/8/24]