とれたての海の幸が日替わり定食で登場するこの日のメニューは、アジのたたき身カツとかぼちゃの煮物、豆腐サラダ、ご飯、わかめの味噌汁です。威勢のいいお兄さんが実においしそうに食事を平らげていく姿は、眺めるだけでも気持ちよく、ついついこちらまでお腹が空いてしまいます。
「時化で魚が揚がらない日以外は、だいたい水揚げされたばかりの魚介料理をメインで出しています。市場の人間は魚に関しては舌が肥えていますから、料理にも創意工夫が必要です」と語る金子卓寛さんは、この食堂を運営するアクトフォー(株)の常務取締役です。以前は給食業者に委託していた普通の食堂だったこの店が、もったいない食堂として生まれ変わったのは昨年の8月。佐世保魚市場が掲げる“地産地消”“魚食普及”の運動を足もとの食堂で実践して行こうというのが始まりでした。前の食堂では、魚市場に水揚げされた魚もなかなか使われませんでしたが、今では毎日魚市場の魚を食べることができます。野菜はできるだけ近郊で採れた無農薬・有機野菜のものを使用し、その他の材料や調味料もほとんど無添加のものに改めています。市場で働く人のみならず、一般市民にも開放しています。
●「もったいない魚」の誕生 実はティアの各店舗、熊本のもったいない食堂で使われている魚介類は、この佐世保港で水揚げされる「もったいない魚」が中心です。「もったいない魚」とは元岡さんの命名ですが、大きさが不揃いだったり、一定量集まらなかったために雑魚扱いされ、競りでは安値しかつかないため、燃料代にもならないとのことで漁の途中で捨てられたり、養殖のエサになったりしている魚です。
「佐世保港には年間300種類以上もの魚が水揚げされますが、そのうち商品として取引されるのは、一般的に名前が知られた数十種類の魚です。残りの魚は料理法がわからなかったりして敬遠され、大きさや数が揃わない魚と一緒に『色箱』という箱に入れられ、通常の流通ルートにはなかなか乗りにくいのです」(金子さん)
しかし、ルートさえ確保できれば、どれもこれも価値ある食材に変わりはありません。佐世保港の主な漁場である西海国立公園海域には、大小400の島々が点在し、変化に富んだ地形と複雑な潮の流れも相まって、実に多様な種類の魚類が生息しています。現在の日本では稀少な存在となった、近海漁を続ける漁師のためにも、なんとかこの豊穣な海の幸をすべて生かして使いたい。水産加工も一事業とするアクトフォーでは、以前から生協などを通じて独自の販路を模索していましたが、それにも限界があったと言います。
そんな時に、金子さんは元岡さんと出逢いました。金子さんの話に早速佐世保市場を訪れた元岡さんは、漁業の世界の「規格外」の現状をつぶさに知り、すぐさま「もったいない魚」と命名して、ティアの食材としてふんだんに使うことを決めたと言います。それから生み出されたのが、ティアのテーブルを飾るもったいない魚料理の数々です。もったいないレシピで紹介した佐世保食堂オリジナルのメニューも加わって、レパートリーはバラエティ豊かに広がっていきました。
●持続可能な漁業をめざして 還暦を迎えたばかりの元岡さんと、今年34歳になる金子さんは、世代は違えど同じ理想を共有する同志的存在です。ともに日本の農・漁業を永続的に存続させようと日夜奔走しています。 「元岡社長から『一緒にやりましょう』と言われたときは、本当に嬉しかったですね。魚市場に何度も足を運んで、漁師さんたちの話も真剣に聞いてくださって、みな大きな励みになっています」と、金子さんが言えば、「私も金子さんから勉強させてもらいました。特に素晴らしいのは、環境のことを考えて必ずアイドリングストップし、常に『マイ箸』を持ち、おしぼりを使わないところ。省エネのためにヒゲも剃らないんですからね(笑)」と、元岡さんが応えます。
良好な近海漁場に恵まれた島国にもかかわらず、日本の魚介類の自給率は今、5割を切っています。カルシウムやDHAなど魚の栄養価は見直されてきましたが、調理の面倒もあってか、消費者の魚離れは一向に留まる気配がありません。町の魚屋さんは姿を消し、スーパーに並ぶのは外国産の冷凍の切り身ばかり。国産魚の価格は低迷し、漁師の数も減る一方で、後継者難は深刻すぎる問題です。このままでは、新鮮な滋養に満ちた近海魚はいずれ姿を消してしまうかもしれません。
そんな状況の中、ティアのような外食の場で魚を提供してくれるのは、実にありがたい話です。お客さんはおいしい魚料理を食べながらも、家庭でできる調理法を研究でき、さらに興味があれば、「もったいない魚」や「ひっぱりダコ」と名付けられた魚の由来や漁業の現状まで知ることができます。
「ティアではお客様に安心していただくために様々な情報を公開していますので、気づく方は奥の奥まで気づいてくださる。それでいいのです。私の好きな河井寛次郎という陶芸作家の言葉に、『知らバ見えじ、見ずバ知らじ』というのがありますが、その言葉通り、誰しも知らないと何も見えてこないものです。ティアには知る糸口となる材料は用意されています。もしその出逢いがお客様にとって人生の何かのきっかけになったとしたら、それはとても嬉しいことですね」(元岡さん)
●次の世代の「火種」となれば ティアにはオーガニックレストランにありがちな、主義主張を啓蒙しようという姿勢は微塵もありません。万事につけて元岡さんは、お客さんはおろか周囲の誰かに押しつけることがありません。それは内輪のはずの社員に対しても徹底しています。常務の森川さんはこう語ります。 「社長はいつも『こうした方がいいんじゃない』『こっちの方が格好いいよ』などと提案型の言い方をして、人をその気にさせてくれるんです。命令されるより、逆に考えさせられることの方が多く、勉強になりますよね。子育てにも通じますが、いかにその人間が成長するかを常に考えている。細部に至るまで気配りを怠らず、手抜きは瞬時に見破られる厳しい方ですが、掌に包まれているような大きな愛情を感じます」
元岡さんは微笑みながら、「自分で気づいて工夫しないと、何事も本物にはなりませんからね」と言い添えます。 「私は日々100年先を見据えて行動しています。しかし、私の命にも限りがありますから、残念ですが100年後の世界を見届けることはできません。ですから、次の世代の『火種』になればと願っているのです。還暦という人生の生まれ直し地点に来て、これからの使命は、若者たちを育て、引き継ぎ、渡すことです。そのために一瞬一瞬命がけでやっています。自分が命がけでやらないと、次の時代に伝え残すことは絶対にできません」
ティアが誕生して9年間、元岡さんは苦難の中でも歯を食いしばりながら、自分が生まれてきた意味、幸せとは何なのかをずっと考えてきたといいます。「ティアができて良かった」というお客さんの笑顔を前面にいただき、「ティアがあるから頑張れる」という農家の声を背中で受け止め、思いを等しくするティアの家族の肩を抱いて励ましつつ、今日まで歩んできました。ティアは、消費者と生産者の表と裏の両者をつなぎ、日本の食のあり方を変え、引いては日本の将来に希望をつなぐ外食界の新星です。そのティアの魂と命を持続可能にするために、元岡さんは一際大きな火種として、また新たな出逢いを続けています。[2007/5/25]