「震災後1年間は、福島産の野菜は食べなかったですね」「実家が農家だが、自分の親がつくる野菜を食べることができなくて悲しかったです」と話す若いお母さんたちだったが、事故から3年半たって「地元で放射能を心配しないで食べられる野菜ができるなんてうれしいです」「美味しくて、野菜嫌いの息子がバリバリ食べてびっくりしました」という声があがり、会員を喜ばせた。
国際ソロプチミストは、管理職・専門職に就いている女性の世界的奉仕団体で、「地域社会と女性と女児の生活を向上させる活動」を行っている。福島原発に一番近いクラブの国際ソロプチミスト田村は、福島原発事故が起きた時には、クラブが存続できるかどうかもわからなかった。しかし、日本はもとより全世界のソロプチミストから、心からの励ましと経済的な支援を得て、1年後活動を再開。国際ソロプチミストアメリカ日本北リジョンの『女性と女児への贈り物U~希望をつなぐ~』プロジェクトの支援で、2013年3月から「安心」と「おいしさ」をめざす農園を田村市に開園し、地元の野菜の安全性を広く伝える活動を行っている。
野菜で地域を守りたい
この事業の委員長でもある、市内滝根町の歯科医師・博多美保子さん(写真右)が当時を振り返る。 「事故が起きてから横浜へ避難していましたが、2週間後に自宅に戻り、鳥や虫が生きていることに励まされ、自然の回復力を信じてみようと決めました」。 田村市の人口は約4万人。その約40%の世帯が農業に従事し、その8割以上が兼業農家だ。葉タバコや畜産、林業が盛んな地域で、農家の平均年齢は67歳と高齢化は進んでいる。「農家が丹精込めてつくったものは売れず、子どもたちにも食べさせられず、当然ながら田畑はみるみるうちに荒れていきます。賠償金というお金の問題だけではなく、農業者の生き甲斐や誇りは失われました。同時に農家も含めてここに暮らす人たちの食べ物はどうなるのか。お金を出して西日本の農産物を買えばいいという問題なのか。簡単に農業というが、"いのち"の循環が切れるということの切実さを目の当たりにしました」と博多さんは話す。
その後、博多さんは、EMを通じて知り合ったマクタアメニティ㈱の幕田武広さんから福島県が公募した「民間提案型放射性物質除去・低減技術実証事業」で、発酵させたたい肥が、国などで推進する塩化カリウム肥料の使用より3倍の放射性セシウムの移行抑制効果があったという話を聞き、「この技術を自分たちが習得して、安心・安全の野菜をつくり、先が見えない地域へ希望の一石を投じたい」と立ち上がったのだ。
それは、毎日台所に立ち、明日の食べ物を心配る女性から、同じように今子どもの健康をあずかる女性たちに、そして将来いのちを育む女児たちへの贈り物ではないか。震災と放射能災害から復興のために豊かな食生活と地域農業を応援しよう!食べて応援してもらうよりも、自分たちで食べて元気になる。福島に住むだけで危険といわれていることは十分承知しているが、自分たちを含めてこの地域に暮らす人たちが生き延びるために農地を復興させながら、安心して食べられる野菜をつくる。なによりも、農村の知恵と放射能汚染されても生きている土壌を信頼したいということだろう。
国際ソロプチミスト田村のメンバーたち。中央が幕田さん。
自分たちでつくる野菜で料理
そんな女性ならではの視点で、2013年国際女性デーの3月8日、田村地域の食の安全を考えた「安心」「おいしさ」農園事業が始まった。市内常葉町の試験農園で、有機農法で、小松菜・ホウレンソウ・トウモロコシ・ナス・キュウリ・ピーマンなどを会員が栽培。仕事を持ちながら、農園を通う女性たちに近所の農家も協力を惜しまなかった。
幕田さんの指導で土づくりからスタートし、完熟たい肥と有機発酵肥料「EMオーガ1号」(幕田さんのオリジナルボカシU型)や土壌中に光合成菌の定着を図るため、EM3号などの希釈液を土に浸みこませた。
収穫の度に、放射能被ばく濃度を測定して放射能移行抑制の方法を探り、食品からの内部被ばくの低減化を図った。当時の田村市常葉行政局・環境放射線モニタリング測定値は、毎時0.11μSv。厚生労働省「緊急時における食品の放射線測定マニュアル」に準ずる核種測定結果は、測定時定量下限値(1kg当たり10Bq以下)で放射性ヨウ素(I-131)・セシウム(Cs-134、Cs-137)検出なし。農園栽培土壌からは放射性セシウム(Cs-134、Cs-137)が検出されたが、有機栽培野菜には移行していないという結果だった。放射能汚染されている地域でも安心しておいしい野菜つくりをすることができるという確信を得て、会員だけではなく、地域の農家が喜んでくれたことが大収穫だった。
翌2014年3月8日には「田村の食の安全を考える」パートU《ふるさと再生の為の親子料理教室》をスタート。有機減農薬野菜の栽培とその野菜を使った家庭料理を発信するもので、野菜栽培に協力する会員ら18名が幕田さんから有機肥料の説明と使い方及び各種野菜の栽培方法について説明を受けた。今年は、それぞれの家庭で野菜を育てる家庭菜園に挑戦。農業初体験の会員もいて、「収穫できなかったらどうしょう」とのプレッシャーもあったとか。野菜の種は自分で選んだためか、今年は、15ヶ所でジャガイモ・ナス・キュウリ・インゲン・トマト・ミニトマト・ピーマン・白菜・カリフラワー・ブロッコリー・レタス・おかひじき・夏だいこん・小松菜・トウモロコシ・ネギ・生姜・カボチャ・ゴーヤ・ズッキーニ・ニンジン・オクラ・枝豆・春菊・サンチェ・ミニスイカ・ミニカボチャ・サニーレタスなど、夏野菜オールスターが育った。その出来栄えに参加者は大満足。
その1人で東京生まれで薬剤師・海老根則子さん(写真右)は、「地震で倒れた倉庫を取り壊した25m2の土地で生まれて初めて家庭菜園に挑戦して、目から鱗の野菜づくりを楽しみました」と言う。家業は肥料や農薬の販売で、仕事柄、知識豊富な夫からのアドバイスはありがたく聞いただけ。しかし、「採れた野菜を料理して食卓に出すと夫は何もいわずに美味しそうに食べていました」と笑う。
資材の提供と栽培の指導にあたった幕田さんは、「福島県産の野菜は、どこよりもきちんと検査して安全を確認しているが、福島というだけで手に取ってもらえない。このままだと積み上げてきた農業技術もなくなってしまうという危機感がある。しかし、この技術を女性たちが学んで子どもたちが安心して食べることができるという流れは、元気をなくしている農業関係者にも大きなメッセージになるのではないか」と格別な思いで、愛情こもった家庭料理を味わっていた。農作物は単なる商品ではない─そのことをまざまざと教えてくれた夏のひと時、若いお母さんたちに料理を通して明日への希望を伝えたことだろう。