トップ > 有機農業特集 > ルポ 有機の里づくりに取り組む小田原市を訪ねて 大野和興
今、日本の農業が大きく変わろうとしています。有機農業を推進する法律ができたことをきっかけに、各都道府県では、有機農業を普及している様々な民間団体や個人、行政が連帯し、有機農業を推進するための具体的な計画づくりを始めています。これは従来の農業政策から考えると180度とも言える転換です。
Webエコピュアでは、「有機農業推進法の画期的意義 日本の農が変わる」と題して、日本農業の進むべき方向や課題、具体的な取り組み、モデルケースなどについて、有機農業に関わる各分野の方に本音で語っていただきます。

神奈川県の西部に位置する小田原市は、豊かな自然と温暖な気候に恵まれ、小田原城を中心に商業、文化が栄えてきた歴史ある街です。その小田原市が「いのちを大切にする小田原へ」をスローガンに官民あげて地域おこしを始めています。その中心を担うのが、地元の4つの有機農業団体が連携したモデルタウン事業。都市の有機農業モデルづくりとして注目されます。

小田原有機の里づくり協議会を支えるのは、それぞれ独自の考え方とそれに基づく実践を重ねてきた4つの団体であることは、前回述べた。そして、それらの団体はそれぞれ実に魅力的で個性豊かな人によって支えられている。




自然農法を広めていくことが使命と話す石綿さん
石綿敏久さん、58歳。自然の力を最大限に引き出す自然農法を軸に活動している小田原有機農法研究会の会長を務める。有機農業を始めて30年、ミカン・レモン、キウイ、梅、米をつくる。その石綿さんからみて、有機農業をめぐる人びとの目が大きく変わってきているのが印象的だと言う。

「以前は単に変わった農法としか見られませんでしたが、5〜6年前からいろんな人に目を向けられるようになった。顕著に変わったのは2008年に中国からの農薬入り冷凍ギョーザ以後ですね。前はせっかくつくっても販売に苦労していたのが、今は『もうないのか』といわれるようになった」。
「私がやっていることや考え方は、30年前とほとんど変わっていないのですがね」と石綿さんは笑いながら付け加えた。

自然農法家としての石綿さんの名前は全国に知られている。今では全国に普及している果樹園の草生栽培開発者としての石綿さんだ。マメ科の牧草ヘアリーベッチを使う。この牧草は地を這い、雑草を抑える。除草剤がいらないばかりでなく、マメ科だから肥料もいらない。この方法を取り入れている石綿さんのキウイ園を見せてもらった。見事な生育振りだった。


今年61歳になる代表の長谷川功さんは、組織力とビジネス感覚をあわせもつ卓越したリーダーである。事務局を務める渡部健治さんに話を聞い


経済的に自立できる有機農業の道を探る渡部さん
た。組合の発足は昭和40年代から始まるミカン価格暴落がきっかけと言う。市場流通に限界を感じ、産直をスタートさせた。近くの団地への引き売りから始め、次第に生協との取引が増え、組織も拡大。平成元年に販売部門として(有)ジョイファーム小田原を設立。さらに都市と農村の交流運動を進めるNPO法人「小田原食とみどり」を平成16年に立ち上げた。販売額の8割は生協組織のパルシステムグループに供給している。

生産物はミカン、キウイ、梅、タマネギ、菜の花など。エコ栽培と呼んでいる減農薬・化学肥料栽培と有機栽培の二通りをやっており、有機は今のところキウイに限定している。

このグループの事業活動のテーマは2つある。1つは「活力ある農業社会の建設」、もう1つは「豊かな環境」。前者を進めるには、農業を経営として成り立つものにしなければならないと考えている。
「生協でも有機のものは高いので売れ行きがよくない。有機だけで本当の意味で農業振興ができるかどうか、疑問なところがある」。
もちろん、有機農業の大切さは否定しない。第2のテーマ「環境」は、まさに有機農業とセットの概念だからだ。


有機の里づくりに「報徳」の文字があるのを発見し、さすがは小田原、と感心した。この地出身の実践家・二宮金次郎尊徳の報徳思想は有機農業と


有機農業については初心者だが、販売ではプロの田嶋さん
どう重なるのか、とても興味がある現代的課題である。代表の田嶋享さんに会った。74歳になる田嶋さんは八百屋さんからはじめ、一代でスーパーマーケット・ヤオマサ株式会社をつくり上げた人である。

農場の経営面積は現在田畑合わせて6ha、利用権を設定しての借地だ。なぜ農業に、と尋ねた。
「八百屋として市場に出入りしていて、このままでは小田原に農業がなくなると痛感した。農家の高齢化で人がいなくなり、田畑が荒れてしまう。金次郎さんも、土地は鍬で耕すことで生きる、と言っています」。

売り上げは年2000万円程度。米と野菜をつくり、有機栽培とそうではないやり方の両方をやっている。20人がここで働いており、高齢者や障害者の雇用の場も提供している。米は「金次郎さんのお米」という商標登録を取り、地元で販売している。野菜は学校給食にも出しており、余ったものはスーパー・ヤオマサで売る。
「放っておけば荒廃する農業と農地の受け皿をつくりたいと思ってやっている。金次郎さんは『荒廃を座視することは人生の大罪なり』と言っています」。

話を聞いていると、経営戦略,販売戦略はやはり鋭い。「『道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である』これも金次郎さんです」。




食糧問題の解決に自給的農業をすすめる笹村さん
農業への新規参入者のグループである。個性な人たちが集まっての自由さがとてもいい。そのひとり笹村出さんは、新百姓とはいえ、すでに23年の農業歴がある。そのうち10年が小田原だ。農の会のメンバーは、笹村さんのようなベテランから就農したばかりのものまでまちまち。例えば農の会が出す手づくり新聞『あしがら農の会通信』の今年の9月号を見ると、次のような案内記事がある。

「就農2年目のゆたゆた農園では、野菜のお客さんを募集しています。小田原西部にお住まいの方で、宅配で野菜を取って下さる方がいらしたらご紹介ください」。
村ではどこもよそから来た者に厳しい。小田原も例外ではなく、「彼らに土地を貸してはいけない」と公然と言われたりもしていた。しかし、例えば今年の米の出来を見ても、どちらかというと一般農家よりも農の会のメンバーの方が良かった。「夏場、もうひとつ暑くなかったことが原因だと思うが、そういう時は手をかけたところがよい結果を生む」と笹村さん。こうした実績が知れてきたのか、最近では地域の農家から『土地を借りてくれ』という話しが農の会のメンバーに来るようになった。

農の会のテーマは「地場・旬・自給」だという。技術は各自が工夫を重ね、統一されたものはないが、みんな有機農業に取り組んでいる。しかし、と笹村さんは話す。
「会として、有機を前面に出すことはしない。それをやると地域の農家を敵にしてしまう。農薬を使っても農業をやり続けることが今は大事なのだから。農薬はだめですといった途端、そこで会話は成立しなくなる」。

よそ者の集まりの農の会は、小田原の農業と人・土地・生産物・地域・自然と外の人びとを結びつける役割も果たしている、とても貴重な存在でもある。

[2009/12/31]

小田原有機の里づくり協議会
小田原市を中心に有機農業を行い、活動している4団体が参加して平成21年3月に発足。
代表は加藤憲一小田原市長。小田原有機農法研究会(代表・石綿敏久)、農事組合法人小田原産直組合(代表・長谷川功)、NPO法人あしがら農の会(代表・中村隆一)、農事組合法人報徳農場生産組合(代表・田島享)の4団体が参加。協議会の農業者はあわせて55戸、30ha。農産物の内訳は、水稲、野菜、果樹(ミカン、梅、キウイフルーツなど)で、宅配や市内の学校給食、大手生協、有機食品業者などに出荷している。なお、小田原市の総面積は、1万1406haうち農地は2522ha。自給的農家を含めた農家数は2万4477戸。

 

 

 

大野和興(おおの かずおき)
1940年愛媛県生まれ。日本農業新聞記者をへてフリージャーナリスト(農業・食糧問題)。長年にわたり日本とアジアの村を歩く。アジア農民交流センター世話人。脱WTO草の根キャンペーン事務局長。主著に『日本の農業を考える』(岩波ジュニア新書)、共著に『食 大乱の時代』(七つ森書館)、『危ない野菜』(めこん)、『百姓が時代を創る』(七つ森書館)など。

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