福島県の沿岸部を走る国道6号線の道路からは、近くには廃墟となった娯楽施設が、遠くにはフレコンバックの山と耕作放棄地が続いている。国の農地の放射能除染のやり方は、表土を5cm剥ぎ取り、山土を客土し、さらに地力回復のためにゼオライト、カリ、熔リンを入れて耕運するというもので、剥ぎ取った表土は廃棄物として仮置き場に置かれる。それがフレコンバックの山だ。まだまだ、復興とは程遠い光景だが、ひとつ山を越えた隣の地域に、微生物の力を信じて、田植えをし、米をつくり続けてきた人たちがいる。福島県南相馬市原町区、田村市都路町古道区は、いずれも原発事故のために田んぼがあっても米がつくれず、畑があっても野菜がつくれなかった地域だ。
有用微生物群であるEM技術での除染は、廃棄物がでないので仮置き場の必要がない。自然にも人間にも良く、海も川もきれいになる。もちろん、お米の味も品質もよくなる。福島県では、2016年度産米から食品衛生法の基準である1kg当たり100Bq(ベクレル)を超える放射性セシウムは検出されていないが、今回取材した方々がつくったEM米は、放射性セシウムが不検出(検出下限値1Bq/kg )、あるいは50分の1という数値であった。 EM技術で放射能の影響を限りなく少なくし、地域再生の原動力になっている4人の方々を紹介する。
1.『循環農業再開 自分でつくった米は最高だ』 南相馬市・瀧澤昇司さん
「やっぱり、自分でつくった米はうまい。田んぼがあるのに米がつくれない。そんなイライラがようやく解消されました」これで、ともかく一段落したというように南相馬市原町地区の酪農家・瀧澤昇司さん(50歳)は、ふっくら炊けたコシヒカリの香りに目を細めた。しかも、2015年度に精米に微量に検出されていた放射性セシウムは、2016年度米では不検出だったのだ(検出下限値1Bq/kg)。
瀧澤さんは、震災前は36頭の乳牛を飼い、日に700kgから800kgの搾乳量があった。牛に与える餌には、牧草などの粗飼料とトウモロコシなどの濃厚飼料がある。瀧澤さんは粗飼料を自家生産していた。牧草を生産する畑には、牛のふん尿でつくったたい肥を入れる循環型の酪農を行っていた。
暗転したのは、福島第一原発事故だ。一時期は屋内退避区域や緊急時避難準備区域に指定され、事故発生の数日後から、原乳を回収する集乳車や燃料の販売車は回ってこなかった。その後、福島県で生産された原乳から放射性ヨウ素が検出され、県全域で原乳の出荷制限が指示された。
出荷制限が解除されるためには、放射性物質検査で3回以上、暫定規制値以下となることが条件だったが、行政の放射性物質検査は実施されなかった。自分の力で調査したところ、好運にも原乳の放射性物質の検出値が暫定規制値を下回っていた。3ヶ月後には原乳の出荷が再開したが、それまでに搾乳した原乳は廃棄せざるをえず、結果として14頭の牛を処分することになった。
そんな過酷ともいえる時期に、馬場EM研究会の羽根田薫さんからEMの情報を得る。2012年4月からEM研究機構の協力で試験的にEMを導入した。牛の餌にEMを添加し、畜舎の床へのEM散布。堆肥舎の液肥槽にEMを流したところ、臭気もハエの発生も減少した。
「短期間での結果に手応えを感じましたが、驚いたのは、土壌中の放射性セシウム濃度です。化学肥料区ではほぼ横ばいなのに対し、EMスラリー(EMで発酵処理した液肥)を散布した土壌では減少する傾向が見られたのです。さらにEMスラリーを施用して栽培した牧草は、化学肥料で栽培された牧草と比較して、牧草中の放射性セシウム濃度が低くなることが確認されました。このとき、循環型の酪農を再開できると確信しました」 この成果は、2014年環境放射能除染学会で発表されている。
しかし、気がついたときには、地域の酪農家は9軒のうち6軒が廃業していた。酪農は一旦止めたら再起は難しい。 「ここまで持ちこたえたのは、震災当初のあの大変な時期に中学2年の息子から、僕が酪農を継ぐと宣言されたことです。なら、やめられない。逃げないで、前を向いていこうと覚悟が決まりました」と話す。息子は、言葉通り、今は北海道で酪農を学んでいる。
そうこうしているうちに2015年に農地の除染が始まる。「避難勧告が解除されても、周辺の兼業農家は帰ってこないから、誰かがやらなくては終わらないから、自分が中心になって除染するしかありません」 結局は40haの農地の除染を行うことになった。しかし、自分の農地の表土を取り除くのは拒否した。「どんな土を入れられるかわからないという不安がありました。表土ほど大切なものはないですから」だから、剥いだ土を入れるフルコンバックは、必要なかった。
土壌改良した後にたい肥を入れ、さらに30 aの田圃には、もみ殻燻炭、EMセラミックス、EM活性液の混合物を掘った穴に埋め込んだ。エネルギーを取り込む「六芒星」の形にした。それが功を奏したのか、2016年産のコシヒカリの育ちぶりは、驚くほどだった。10a当たり8.3俵、量も質も申し分ない。このコシヒカリは、グランドゴルフ場にある集会場に新設された「みっちゃん食堂」で提供されることになった。昼だけの営業だが、地元の母ちゃんたちが手づくりする定食は、評判だ。 「みんな、おいしいって言ってくれるんだよね。ぜひ、ぜひ、食べていってください」地元の米をみんなで食べられる、この当たり前のことができるようになったことが、心からうれしそうだ。
瀧澤さんは、農業委員に就任した。いやがおうでも、南相馬市の最前線に立ったことになる。震災から6年。瀧澤さんの新たな覚悟の1年が始まっている。
(文責:小野田)
<参考>福島県産玄米の放射能検査結果 https://fukumegu.org/ok/kome/year/16
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