人生はバクチだから、自分のことばかり言っていたらツキが逃げる。だから自分のことはさておいて、子や孫たちや他人のことを第一に考える。人から笑われようと、騙されようと、気にせず、馬鹿みたいにお人好しになって、自分の信じた道を生きよう。さすれば、そのうち神さんが味方に付いて、ツキと流れはこちらに寄って来る。でも、行為に対する結果は、良いことも悪いことも、長い時間をかけて、音もなく後ろから忍び寄ってくるものだから、なかなか目には見えないし、手ごたえもない。 田舎からの国づくりは、若者たちに任せた
しかし心の力を抜いて、なおかつ積極的に信じ、静かに行動し続けることで、ツキと流れは、間違いなく「心の平安」という形で、こちらにやって来る。そして「困らない程度に」お金も入ってくる(きっとそうに違いない・・・多分)。それを待ちきれなくて、喉から手を出して、結果を取りに行ったら、逃げるに決まっている。そしてまた初めからやり直しと言うことになる。情けは人の為ならずと言うではないか、真理は面倒くさいものなのだ。
では、具体的には何をすればよいのだろうか。僕は農家だからまずは農業の再生に力を尽くしたい。もっと具体的に言えば、有機農業の技術普及と小規模農業の再生。そして、志を同じくする人たちとの連携。さらに言えば、人の親でもあるから、当然子供たちの幸せを守りたい。そのためには森や、川や、海を再生し、誰にとっても食と健康とのもとになる豊かな自然を取り戻したい。林業も水産業もしかりである。それは、日本人として、国民として当然の責任だと思う。そんな、あれもこれも、何もかも、できるのでしょうか。
できます!(このきっぱり感が、なにより大切)。
潔く、人のために ツキは後からやってくる
農業もバクチだからやはりツキが大切。少しずつ農薬を減らして、いずれは有機農業に、などと、その思いっきりの悪い、優柔不断な考え方が、ツキを逃がしてしまうし、流れも悪くなる。徐々に農薬を減らして、いずれは有機農業なんて言って、実際有機農家になった人なんか、見たことない。有機農家の中にも、良い物を作るための土づくり技術や、理論の習得、額に汗して働くことなど一番大切なことをさておいて、やれ、アブラムシにはお酢がいいとか、対処療法ばかり考える人や、ロクなものができていないのに、売り先ばかり考える人がいるけれど、それもダメ。その技術と勤勉さをなめたセコイ態度が、どだいバクチになっていないのだ。農業は種を播くまで、植えるまでが勝負、ときっぱり腹を括り、そのために学び続け、働き続ける人には必ずツキが巡ってくる。奮闘及ばず病虫害が出たら、それは自分の負け、まだまだ未熟だと潔く結果を受け入れ、さらなる勉学に励めば、精進すれば、やがて遅ればせながらも、必ずツキが回ってくる。そして、だからこそ、結果的に良いものができるし、信用もされ、売り先も増える。
できるか、できないかではなく、きっぱり「やる!」と決めることでツキを呼ぼう。その結果がどうであろうと、それは誰のせいでもない、全ては自己責任なのだと、主体性を持った、お人好しに、自信を持ってなろうよ。
健全な意識が、 良い政治と行政を作る
太陽のエネルギーの循環、と言う自然界の仕組みの中で、全ては繋がっているのだから。それを感覚的に捉えて、日常生活に反映させれば、必ず世の中は良い方に変わる。そして「国民一人一人が、国家を形成する一員である」と言う当事者意識と自覚を持って、意識を変えれば、世の中必ず変わる。それは行政の仕事だ、政治の役割だとあきらめてしまったら、国づくりを他人任せにしてしまったら、日本人の精神性を解体しようとした、戦後GHQの思う壺、狙い通りとなり、その論に与するだけになる。「景気のためには原発やむなし」「子供の声がうるさいから、保育園は作らせない」「報道の自由が脅かされても、俺には関係ない」と、なる。自分のことばかり考えていたら、必ず「背に腹は代えられない」意識と行動になるのだ。これを政治と行政でやろうと思っても、時代に合った法律を作っても、それを権力で執行しようとしても、普通の人々の日常生活における意識が変わらなければ、どだい無理な話。なぜなら、人々の意識の総体が反映されて、結局、政治と行政というカタチになっているのだから。
人の為に頑張るのは大いによし、けれど、自分のために頑張るのはだめ。個人主義、競争社会クソくらえ!この際、スパッと思い切っちゃいましょう。太陽のエネルギーを軸に全てはつながっていて、それが多様な生命と共に循環するという真理を軸とすれば、人間が中心という傲慢さがなければ、あの忌まわしい全体主義も台頭できない。だから、世のため人のためにと、馬鹿みたいにお人好しになって、意識を変え、行動しても、何の問題もないのです。
子供のころ、9時に寝かされた後、襖を隔てた隣の部屋で、両親が、仲間と楽しそうに、宴を楽しんでいるその笑い声を、心地よい子守唄に聞いていた僕の原体験が、他人の幸せを喜ぶ性格を作ってくれたとすれば、その頃からぼくはツイていたのだね、きっと。もともと、自分のことより、人様が喜ぶ顔が嬉しい、メデタイ性格に恵まれていたのですね。と、今頃気が付いた。
そんなことより、自分の生活が先。
さあ、どうでしょうか、賭けてみますか?
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