EMを使ったら、さらにデキが良くなった。デキが良いと気分が良い。気分が良いとさらに意欲が湧いて、あんなに嫌いだったお勉強が全く苦にならないし、ならないどころか面白くてしょうがない。参考書をむさぼるように読みふけっては畑に入り浸った。「あ、そうか、なるほど」と参考書の理屈と畑の土と作物のデキが、感覚的につながる快感は格別のものがあったし、一日中草取りしても飽きないほど農作業も楽しかった。畑に整列した美しいキャベツに見惚(ほ)れては一人悦に入って「こんなきれいなキャベツが無農薬でできるはずがない」と、農家からクレームが来たら「むふふ・・・」と、余裕でほくそ笑んだものだ。
そして今から17年前、「こんな遊んでいるような毎日で、飯が食えたら言うことない」と、48才で農家になった。しかし、それからが大変だった。農作業が楽しいだけでは済まないのだ。生活していくためには一定の所得も必要だし、それを得るためにはさらなる、安定生産と労働の質と勤勉さが問われ、後ろから刃物を突きつけられて走り続けるような日々の連続で、気忙しい心の状態が続いた。しかし、気が付けば、買い支えてくださるお客様がいて、そのお客様のありがたさが身にしみてわかってくると、そのご恩返しに自分には何ができるのか、何をやりたいのか、自分の本心に問いかけ続けて5年が過ぎたころ、有機農業を通して、豊かな自然を取り戻すことが、ぼくの仕事だと納得した。そして有機農家を育成する「土佐自然塾」の開校。さらにその5年後には「有機農業、有機農業と言うな!農業をどうするかだろう!」と、退任したばかりの橋本大二郎元高知県知事に、一括されたことも大きな衝撃だった。「そうだ、日本の農業をどうするか」なんだと、決意を新たにしたころ58才になっていた。
また、振り返ってみれば「田舎でのんびり百姓でも」と言うのは甘い夢に過ぎなかったんだな。まるでジェットコースターに乗っているような生活は今でも続いている。
さらに大きく自分の人生を振り返ってみれば、物心ついたときは、周りは豊かな自然にあふれていたし、両親にはとてもかわいがられていた。これがぼくの人生におけるビギナーズラックだっただけれど、もって生まれた煩悩は星の数ほどあるから、調子がいい時は、当たるを幸いに、周りをなぎ倒すこともあれば、ちょっとしたことで落ち込んで、憂鬱(ゆううつ)な日々を過ごすこともあった。人並みにややこしい性格なのだな。
しかしここに来て「人一人の力はタカが知れている」という自覚はできた。だからこそ年相応に力を抜いて「仲間作りを大切にしたい」。そこだけはしっかり筋を通して生きていきたいと思いながら、とうとう65才、高齢者の一年生になった。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
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