自然の流れに沿って、自由に生きる。と言えば聞こえはいいが、何のなんの、ただの我がまま、やりたい放題、好きなように生きているだけのこと。
だから、苦労や努力がない。
農業を始めて16年が過ぎた。今年の畑も、冬作から春作、そして夏作も前半が過ぎてしまったけれど、すべてが順調にいっている。正確に言えば、厳冬期に冬どりダイコンが凍害に遭ったり、春作のホウレンソウにトウが立ったり、マルチ栽培のジャガイモが採り遅れて半分以上傷んだり、つい最近も大雨による冠水でトマトハウスの一つがほぼ全滅したり、昨年秋からは長い肘痛、腰痛、四十肩も、そして嫁の不機嫌とその機嫌取り・・・。
他にも、畑の観察と技術のお勉強、額に汗して働くこと、研修生たちを指導することも楽しいし、有機農業を広める団体の活動からは、まさに日本の農業が変わろうとする臨場感が得られ、そのための人材を育成する土佐自然塾や山下農園が、皆さんのおかげで日々成長していること。そして何より、ぼくは人が好きだから、たくさんの人たちに仲良くしてもらっていることがなによりありがたい。
ところがである。こんな幸せな毎日を過ごしているのに、全てが順調なはずなのに、ハッと気が付いたら、得体のしれない鬱が、まるで男の生理のように、内から湧き出てくるのか外からやってくるのか、いつの間にか胃の中で鉛のように居座っている。状況がどうこうしたではなく「それとこれとは別」と、訳もなく周期的にやって来るから始末が悪い。
今がその真っ最中。その鬱が中枢神経から末梢神経に、ジメジメと染みわたると最後、もう手が付けられない。なだめたり、すかしたりしても効果は無い。嫁の不機嫌と一緒で理屈は一切通用しないのだ。このとらえどころのない無明の闇をいかにやり過ごすか。正面から向き合えば事態はより長引く。と言うのはこれまでの経験値から分かっている。この経験から学んだことは、ただ放っておくこと。他人のアドバイスや考え方を持ち込むなどはとんでもない。さもなくば、混沌はより深まる。
だからそれは放っておいて、別の土俵を用意し、そこで勝負する。山や川、海で夢中になって遊んでいた頃の美しい景色や、多様な生命と自然の仕組みとの、日常的なかかわりを
これで、だいたい鬱は治る。そして、入れ替わりに躁がやってくる。これがまたややこしいけれど、それについてはまた次の機会に。
や〜れ、原稿書き終わった。
あれ?なんだか元気でてきたぞ。
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