否である。
具体的な数字をあげれば、過去25年間で基幹的農業従事者は346万人(1985年)から205万人に減少(2010年)。65歳以上の高齢化率は19.5%からなんと61.1%に増加している。この高齢化率はさらに増え続けている。この先どうするの?世代交代は?後継者、担い手の育成は?という問題が立ちはだかっている。
それを無視して、国はグローバル経済の中、外国との競争力を高めるためという理由で、
そして何より、食料の安定供給と言うなら、麦や大豆の自給が重要だし、マーケットの側から見れば、前回にも指摘したとおり、そのニーズは量より質、すなわち腹を満たすための食料だけではなく、嗜好品としての食材に時代は変わっているのに、そこにこそ国内需要と国外需要、そして経済性が見込めるのに、それに気が付かないのか無視しているのか、マーケティングが偏っている。
みんな美味い米を待っている。不味いからパンを食べるのだ。
では、有機農業を見てみよう。有機農産物は堅調な増加基調にあり、有機農産物の相対的な比率は拡大途上にある。有機農家数も増加している。しかし、現在の有機農家数は約1万2000戸、栽培面積は約1万6000ha。これがどんな数字かというと、それぞれ0.5%、0.4%。この数字だけを見れば極めて少ない。少ないけれど確実に増えているこの事実をどうとらえるか?一点の光明と取るか、取るに足らない小さな数字と取るか。まさにセンスが問われるところだ。
有機農業における新規参入者の動機は様々だけれど、行政的に言えば情緒論が圧倒的に多い。「子供たちに安全、安心な食べ物を届けたい」「豊かな自然と共存する生活をしたい」などなど。しかし、情緒論を無視してはいけない。なぜなら、農業の生産性とその品質を高めるために最も重要な要素は、農家の喜びを伴った勤勉さであるし、それにはその動機づけとなる情緒論がとても大切なのだ。
「何のために農業か?」と。
農家を単なる労働者と位置付けてはいけないのだよ、資本家諸君。
政治家も行政も、はたまた農協も当てにできないとしたら、この際そんなものはいったん脇に置いといて、評論家のような経済学者の論理にも惑わされず、はたまた批判もしないで、当事者である生産者が、自分の責任で想像力を高め、直感を駆使して、美味しい農産物の生産と、それを食べる美味しい幸せを消費者と共有しながら、その既成事実を積み重ねていくしかないようだ。
農林水産業という国民的資産は、直感とノリ一発で、自分たちが守ろうよ。
できるよね。
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