「高知県は一つの家族です!」と。
それを聞いて、ぼくは突然家出したくなった。しかし、自分の農園の経営もあるし、土佐自然塾の塾長も務めている。農水省から有機農業を普及するための事業を受託している団体の代表でもあるので、これらを放り出すわけにはいかない。どう転んでも、昔のように家出はできない。
しかし、天は我に味方したのである。
嫁からいつも「え、また出張?」と文句を言われているぐらい、出張が多いのだ。つまり、日常の中に非日常的「プチ家出」が時々はいるわけですね。その家出中に何をしているかと言うと、都会での会議や商談会、全国各地でのセミナーや現地見学会に参加して、とても楽しく、非日常的お勉強をしている。そこから、田舎の中だけでは見えてこない。別の大きな景色が見えてきた。
明るい未来が見えるのだ。
大量生産された農産物は、コスト削減と安定供給、そして品質の均一化が求められるため、当然のごとく農薬と化学肥料と機械化がセットの、作業工程が規格化された栽培技術になる。農産物は工業製品ではないから、そのクオリティには当然限界が出てくる。簡単に言えば「押しなべて70点止まり」なのだ。確かにそれで大規模な需要や業務需要は満たされるけれど、「綺麗で美味しい、そして安全安心」。これらが3拍子揃った「100点満点」の農産物に対する個人的、家庭的、小規模業務的ニーズは満たされていない。ところが「技術を伴った有機農業」はそれに応えることができるし、それを実現できるのが、手間暇かけた小規模栽培なのだ。そして、担い手となる新規就農希望者も多いし、慣行栽培からの転換希望者も多いことから、そのための人材確保、世代交代も見込める。
小規模な生産と消費は、日本全体で見れば立派に大規模なのだ。
集約しにくい小規模農業は、大規模流通業界には向かないけれど、新たな流通の仕組みさえできれば、小規模農業そのものには高い可能性がある。とすれば、圧倒的多数を占める小規模家族経営農家の再生、すなわち日本の農業の再生と消費者の満足、つまり経済的持続性が見えてくるのだ。
「大規模栽培だけが、あるいは有機農業だけが、という極論ではなく、多様なマーケットには、多様な生産、流通体制を」と、内なる直感を信じて、腹を括って、胸を張り、健全な農業と社会のありようと、その再生に力を尽くしたい。
ということが、家出をするとよく分かるのだな。今年もまた4月から新入生が入って来るけれど、塾生は家出したらいかんよ。
これは、ぼくの既得権益なんだから。
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