EMとの出会い
はじめまして。 私は、愛媛を拠点にEM活動を展開しておりますが、EMに出合ったのはわずか11年前です。30年も40年も前から使っておられる方は、「えっまだ11年?」と、EM暦の短さに驚いていらっしゃるのではないでしょうか?
私は、かつて中学校の家庭科の教師をしていた頃、有吉佐和子氏の『複合汚染』を読んで、大変ショックを受けました。専攻が食物でしたから、農薬汚染や食品添加物の怖さを子どもたちに知らせたいと、授業づくりには特に力を入れていました。しかしその後、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を読み、「もうだめだ!私たち個人がどんなに気をつけても、これはどうにもならない」という焦燥感に打ちひしがれてしまいました。
小中合わせて37年間の教員生活を終えた後、今度は幼稚園の園長を勤めました。そこで、トイレの臭い対策や床の掃除などに使っているEMを知ったのです。比嘉教授の『地球を救う大変革』を読ませていただき、「地球を救ってくれるのはEMだ!」と直感しました。これが、私の人生をも変える、EMとの出会いだったのです。
EMづくしの毎日
EMと出会って、大きな希望が見えてきました。それからは、トイレや掃除だけでなく、発情期の猫のおしっこが原因となるカンピロバクターが心配な砂場の消毒もEMで。そして、インフルエンザ予防として、送迎バスから子どもが降りて来るたびに、座席のシートを7倍に水で薄めた米のとぎ汁発酵液でふき取ったり、子どもの帰ったあとのおもちゃを徹底して拭いたりしました。この7倍という倍率は、東北新幹線でEMお掃除をしている企業さんの倍率を取り入れての取り組みでした。
冬は、加湿器の中にも100倍に薄めたEM発酵液を入れて室内を加湿。夏は、屋上に設置した簡易プールの水に米のとぎ汁発酵液を1000倍に薄めて入れ、3日に一度取り替えた水を園庭に撒いていたのです。その結果か、大勢が集う運動会でも、埃がたたない園庭になっていました。
新型インフルエンザの対策にもEM
その当時、新型インフルエンザが猛威を振るっていました。8月頃から感染が後を絶たず、寒くなると近くの幼稚園でも1日の感染者が80人を越え、学園閉鎖になっていました。
そのように校区内の小学校や中学校で学級閉鎖が相次ぐ中、私が勤めていた幼稚園では一度も学級閉鎖にならなかったのです。お兄さんやお姉さんたちがインフルエンザでも、園児が幼稚園に来て遊んでいる内に体内のインフルエンザ菌の感染力が落ちてしまうのか、兄弟からの感染はありませんでした。EMの重ね効果で、園の環境全体の抗酸化力が高まったため起きていた現象と推測します。
たとえば、教室内で先生たちが行う毎日のEM空中散布や、加湿器から出るEMの蒸気、その当時は、比嘉セオリーという理論なんて全く知りませんでしたが、今思うと、この重ね効果というのは、すごいEM技術を実践していたのだと納得します。この時、「EMさんありがとう」と、EM賛詞を言っていたら、もっと効果があったかもしれませんね。
こどもたちの安全のために
消毒臭のしないトイレの幼稚園、インフルエンザにかからない幼稚園、さらに、落書きされた体操シャツもEM洗濯でよりきれいにしてお返しする幼稚園。これには、保護者のみなさんに驚かれたこともしばしばでした。ママたちの間では、「こどもの安全のためにお金を惜しまない幼稚園」という口コミが広がり、少子化であってもお断りしなければならない園児が出るほど人気の幼稚園に変身したのです。
ままごと遊びのお皿から思い立った「新たな挑戦」
また、野菜や花の栽培もEMを使っていました。ある日、プランターで栽培をしたトマトやきゅうりを使ったままごと遊びの、片づけていないテーブルのお皿を発見した私は、「ハッ」としました。真夏に3日も経っているのに、お皿の中の水は白くなり、腐敗ではなく発酵していたのです。EM栽培のすごさを見せ付けられた私は『EMで健康づくり』という新たな挑戦を思い立ちました。
これが私のEMとの出会い、スタート地点でした。
比嘉先生の情報開示の勢いは、益々スピードを増しておられますので、私も各駅停車の列車から新幹線に乗り換え、今では、ジェット機に飛び乗るくらいの勢いで先生を追いかけて、ご指導をいただきながら、実践に生かしていきたいと思っています。 2019年3月末に11年間勤務していた企業を退職して、EMの技術を広める『一般社団法人EMスペースほしとたんぽぽ』、NPOの法人格の『えひめユニバーサルビレッジ研究会』を立ち上げました。 これから、私の見てきたEMの不思議をお伝えしていきますね。 どうぞ、お付き合いください。
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