農業を始めたいと思い至り、さて、どこで、どんな農業をしようとするのか―――人によってそのアプローチの仕方は、人の数だけ手法が違うのだと思います。ですから、私たちの場合も数ある道のりの中のほんの一例です。
懐深い自然環境に魅せられて
農業の新規参入者としては、私たちはちょっと不真面目な例かもしれません。 ましてや有機農業を志す人たちの中では、農業中心でなかったという点からもお叱りを受けてしまうかもしれませんね。 私たちの場合、農業は生計を立ててゆくための手段でした。 朱鞠内という土地を選んだ最大の理由は、この土地に広がる険しすぎない自然林のある広大な森とこの地でたくましく生きる動植物たちや、人造湖とはいえ複雑なその地形とそこに生息する魚たち、雪が多く寒さの厳しい冬がありながら、夏は30℃以上になる典型的な盆地気候。 昼夜の寒暖差は耕作可能な場所としてはおそらく日本一激しいでしょう。 農業を営む上での条件は厳しいけれど、この地の懐深い自然環境が最大の魅力でした。 職業を選んだというより生きる舞台を選んだのです。 この地で暮らせるなら本望と思えたことでした。
さて、どんなにその自然環境が気に入っても、そこで暮らすことと農業を営むこととは決してイコールではありません。 私たちの場合、特にそのギャップは激しかったようです。 思い描く夢は大きく、でも朱鞠内での新規就農の現実は想像を超えた厳しさでした。 研修期間中にお世話になったこの地域をよく知っている農協、自治体、農業改良普及員さんなど農業関係の方たちに「新規参入組として朱鞠内で畑作農業を始めたい」と、相談すると、全員が口をそろえて不可能だと言いました。 研修を受けていた農家さんのある地区よりもさらに25kmほど北の朱鞠内。 同じ町内でありながら、研修地では小豆、大豆、麦などが収穫可能ですが、朱鞠内ではそれらは商業栽培にとって採算の合わない"危険作物"。 気候のボーダーラインを超えた場所でした。
作物の収量も、馬鈴薯の場合、大産地の十勝地方と比較すると収穫量は半分です。 春は6月中旬まで霜が下り、9月20日頃には早霜の降ることがあるので、ほとんどの作物は生育期間が限られ、収穫量がかなり少なくなってしまいます。 そして、作る作物はどれもこれも時期が重なっていっぺんに作業しなければならない。 だから、とにかく半端なく忙しい。 北海道でも特別厳しい気候条件の朱鞠内では、常識的には新規参入はあり得ない話だったのでした。 そして、当時は農業関係の補助金が出る作物はほとんど採れない。 もっと気候条件の良い場所でさえ、補助金無しで営農するのは難しいのに、それすらないのです。
私たちが朱鞠内への就農を視野に入れて検討しているとき、幾つかの別の場所での就農の話がありました。 どこも農業で生計を立てるには、少なくとも朱鞠内よりは条件の良いお話でした。 私たちも朱鞠内だけに固執していたわけではなく、朱鞠内に定住することと冷静に比較して、どちらの暮らしをしたいのか、一つ一つ時間をかけて検討していきました。 そんな中で私たちの心を掴んだのは、朱鞠内の農産物の味でした。厳しい気候の朱鞠内で育った作物は慣行栽培のものでも底力がありました。
「慣行栽培でこの味ならば、有機栽培で育てたらいったいどんな味になるのだろう。」そんな思いが心から湧き上がってきました。 「もし、朱鞠内で有機栽培ができたならば、この気候と合わせて、これまで市場に出回ったことのない特別の味の作物ができるのではないか・・・?!」 この思いは私の心を射抜きました。
農業と有機栽培という選択
私たちが有機栽培をしようと思ったのは、二人で生きていく場所と生き方を模索していた最初の頃からでした。 アラスカで夫と出会い、2年ほどで結婚し、子どもを産んで離乳食を食べさせ始めた頃のこと。 子どものために親として何をしてあげられるだろう、と漠然と考えていた時、ふと何よりもまず健康な身体だ、と思いました。 そんな時、「大地を守る会」というところの新聞の折り込みチラシが目に入りました。
無農薬・無化学肥料栽培の野菜、どんな感じだろう、と興味を持ち、宅配を取ることにしました。 すると、同じニンジン、同じ玉ねぎなのに、近所のスーパーで売っている物と全然味が違う。 これはいったい何? そのうち、スーパーで並んでいる野菜たちが美味しそうに見えなくなりました。 でも、すべての食材を大地から取り続けることは難しく、経済的にも不可能でした。 子どもたちに美味しい野菜をお腹一杯食べさせたい! それには、自分で作るしかないのではないか?! 自分たちの健康を維持するために重要な食料を他者に依存していていいのか? そんな思いがふつふつと湧き上がっていた時、夫が1冊の本を買ってきて、私に差し出しました。 「わら一本の革命」(福岡正信著)。 夫もまた、人や物を動かしているより、自然と関わって生きる道、農業を生活の糧とすることを考えていたのでした。
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