壊れゆく障害者福祉 現場の声を伝えたい! 加藤次郎(千葉県睦沢町 社会福祉法人九十九会・槇の木学園施設長) 心身に障害を持たずに生活をしている身にとって、生まれたときから障害を持って生きていかなければならない本人と家族のご苦労を思いやることは、とても難しいことです。なぜなら、“身に覚えのないこと”ですから。かくいう私もそうです。
赤ちゃんを身ごもり、お母さんになる日を待つ女性のほとんどは、「どうか母子とも無事に出産できますように!そして赤ちゃんが五体満足に生まれてきますように!」と祈ります。ところが、母となる女性の切なる願いがかなえられるのは100人中98人。願いかなわず障害を持って生まれてくる子供が2%。それが人口統計上の現実です。
岩手の真理子さんは、身ごもった時の喜びを次のように話します。「母になれることが嬉しかった。子どもの産声を聞いたときには、世の中のすべてに感謝しました。しかし、この子には障害がありました。自閉症で昼夜問わず起き続けて泣き続け、奇声を発するのです。家の中はボロボロで、私と夫の心はボロボロ。やさしく理性的だった自分が、どんどん壊れてしまいました」──真理子さんの出産の日の喜びは、あっけなくどこかに消え、障害のある子ども本人と家族の苦闘が始まったのです。
親子を救ったのは、療育機関等を通して教わった援助の手法でした。それを実践すると、薄紙を剥ぐように社会のルールに沿った行動がとれるように成長してくれたのです。子どもの成長を発見し、子どもをほめる。真理子さんは、失いかけた親としての喜びをかみしめました。しかし、2006年4月から施行された「障害者自立支援法」によって、真理子さん親子の救いとなった療育機関が運営の危機にさらされることになってしまいました。
本来、国が責任を持ってやらなければならない社会福祉の事業のほとんどを、「官から民へ」のかけ声で、公的責務から手放すことをねらったといえる同支援法。親子にとって救いとなった療育機関が、この支援法によって、運営の危機にさらされているのです。理由は2つ。療育機関利用に要する費用負担が激増したこと(応能負担から応益負担へ)。もう1つは、療育機関に支払われる費用が激減したこと(月額・定員制から日額・現員制へ)。前者は利用する人への打撃、後者は運営する側へ与えた打撃です。
これまで子どもの福祉事業は、月額・定員制によって経営基盤が支えられてきました。しかし、同支援法によって日額・現員制に切り替わりました。これはとても大変なことなのです。学校を例にとってみると、市町村は子どもたちが安心して学べるために、学校の年間運営費を用意しています。障害児に対する療育もそうであるべきなのに、1日、何人通園してナンボの世界になるのです。
こうした方針転換は、6年前の介護保険制度の導入から始まっています。それが6年遅れで障害者福祉の分野に流入したのです。これは“福祉の市場化”です。“市場”とは商売です。商売にならなければ“商売”にならない。過疎の村には“市場”はない。田舎の障害者はあっけなく取り残されていきます。この現実を「憲法25条」に照らしてみましょう。「国は、全ての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上と増進に務めなければならない」―障害者の生活の現実と、憲法の条文との間には、とうてい一致しようのない乖離(かいり)が発生しています。
突然、あまりにも突然に施行された「障害者自立支援法」。福祉サービス利用者の負担を増大させ、同時に事業者に対する介護報酬を削減する。これらは、この国の福祉基盤を衰弱させ、障害者を社会からふるい落としかねません。国は、人口比2%の方たちをいつまで、少数者の悲哀におとしめていくのでしょうか。この機会を通して、私たち福祉事業に関わる者だけでなく多くの皆さんに福祉政策の現状を知っていただきたく、また改めてこの法に反対の立場であるという私自身の意思表示でペンを取りました。皆様からの積極的なご意見ご感想を聴くことができれば幸いです。
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