新・夢に生きる | 比嘉照夫

第202回 ドイツにおけるEMの普及状況

前回で第2回正木一郎記念ユニバーサルビレッジEM国際会議について述べましたが、発表以外にも多数の情報が寄せられました。

ドイツからの参加者より、EMジャーナル[EM Journal:https://emev.de/emjournal/]の記事[2017年11月]と素晴らしいEMロゼワインのプレゼントをいただきました。

2002年、私がドイツで行われたEMヨーロッパ会議の後に訪ねたオットー・ウンバハ氏のブドウ園のその後の着実な成果の報告です。ブドウのみならず、多様な社会貢献活動も積極的に行っており、その地域の発展に必要不可欠な社会資産として機能している記事です。

この記事で、EMの変質防止に私が塩を使うようアドバイスしていますが、塩の併用の重要性を再確認したいものです。

このようなEMの普及は、今やヨーロッパ全域に広がっており、ユニバーサルビレッジの核が出来始めています。これからのEMの新しい社会的展開が期待できるようになってきました。

この記事は、EM e.V.の公式ページで読むことが出来ます。
以下はその記事を翻訳した内容です。
(本記事は、ドイツのEM e.V.から正式な許可を得て転載・引用しています。)

EM e.V.:ドイツで設立されたNPO EMユニオン(協会)としてEMジャーナル誌を年に4回発行
EM e.V.(ドイツで設立されたNPO。EMユニオン(協会)としてEMジャーナル誌を年に4回発行)
20年以上にわたるEMによるブドウ栽培

EM・1®の最初のボトルがドイツで発売されたのは1996年、販売が開始されたのは1997年で、シュヴァーベン地方ホーエンローエ地区のプフェデルバッハの農家オットー・ウンバッハが初めてEM・1®のことを耳にした年だった。 彼は常に新しいアイデアを受け入れていたので、これは農業にとって重要なイノベーションであり、「世界の救世主」となる可能性があることにすぐに気づいた。
彼はEMIKO(EM製品の製造販売を行うドイツ法人)の創設者であるラインハルト・マウに連絡し、まもなく最初のEM活性液(EMa)を製造した。 彼は今日に至るまで、熱狂的な “EM信奉者”であり続けている。

 

シュテッキング農場

シュテッキング農場はファイデルバッハの上、ブドウ畑のすぐ近くにある。 農園は数世代にわたってウンバッハ家の手に渡り、ほとんどの建物は最近のものだが、古い納屋だけは現存している。 農場は、かつてのほとんどの農場の特徴であった多様性を保っている。 50頭の乳牛とその子供たち、牧草地、耕作地–飼料はほとんど自家生産している。サイレージは長年にわたってEMで確実に発酵させているが、穀物も販売しており、もちろんワインもある。

ブドウ畑とワイン、EMaの生産、その他農場でのさまざまな活動はオットーの領分だが、ライナーは畑で起こるすべてのことに責任を持ち、EMサイレージの生産、牛乳と穀物のマーケティングなどを担当している。 しかし、多くのことは世代を超えて議論され、共に行われている。 母エリザベートは、当初から家の中や広い庭でEMを上手に使ってきた。

シュテッキング農場では、いつでも新鮮なEMaが手に入る。 その結果、EMを使わない作業はほとんどなく、EMなしで水桶を空にすることはない。 何年もの間、EMはあらゆる分野で当然のものとなっている。 これは、オットー・ウンバッハが当初、すべての作業で追加的な労力を必要とせずにEMを適用できるようにするため、農業機械に装置を取り付けたことにも起因している。

比嘉教授が農場を訪問

比嘉教授の最初のドイツ訪問は、2002年7月に予定されていた。 EMROのドイツ拠点責任者である桑原氏が隣のブレッツフェルト(現在のEMROヨーロッパの拠点)にいたため、シュテッキング農園への訪問が決まった。 当時、彼のブドウ畑のひとつで、EMaだけでは解決できない問題があったらしい。 その訪問の際、比嘉教授は散布液に良質の塩を加えるようアドバイスした。 彼はこのアドバイスに従い、成功を収めた。 彼はまた、EMaの製造に良質の岩塩を使うようになった。

比嘉教授を囲む会には多くの見学者が訪れ、比嘉教授の講演に耳を傾け、自分の経験を分かち合うことができた。 そして、農場内にセミナールームを設けるというアイデアが生まれ、それがこの地域におけるEM技術普及の出発点となった。 この追加的な作業は、コストがかかりすぎることが判明したものの、EM愛好家のグループが結成され、定期的に会合を開いて互いに学び合うようになった。

 

ブドウ畑

ブドウとワインがオットー・ウンバックの特別なお気に入りであることは見逃せない。 しかし、ワイン生産者が植物や果実の健康に気を配るのと同じように、不利な状況によって心配事が起こることもある。 例えば今年、オットー・ウンバッハは、チェリービネガーバエの大発生により、赤ブドウ、そして現在は白ブドウを、期待していたよりも少し早めに収穫しなければならなかった。 しかし、以前にも報告したように、ブドウをEMで適時に処理することで、結局、良いワインに加工することができた。 EMは、強いビネガーの風味を約50%軽減する。

 

特別なベリー

ウンバック家は数年前からチョークベリーも栽培しており、それを加工して健康的なジュースを作っている。 興味深いことに、北ドイツの海岸地方でよく知られているビタミン豊富なシーバックソーンも栽培している。 その実から人気のジュースを抽出している。 農場内のどこでもそうであるように、これらの作物もEMの継続的なケアで育っている。

 

2016年洪水救援プロジェクト

昨年、私たちはニーダー・バイエルン州とシュヴァーベン州における壊滅的な洪水後の援助プロジェクトについて報告した(EMJournal 57)。 オットー・ウンバッハと彼の家族にとって、近隣のコミュニティで被災した人々を支援することは当然のことだった。 農場での仕事のため、当然ながら彼の時間は限られているが、それでも彼は数千リットルのEMaを生産し、何週間もかけてコミュニティや小教区、被災者を支援した。 ここと同じように、オットー・ウンバックは機会があればいつでも、EMaで生活が豊かになることを人々に納得してもらおうと努力している。 彼が20年来そうしてきたように。

EM基金

オットー・ウンバッハの仲間を鼓舞する能力は、彼が環境財団の設立を任されたことでも証明されている。 一家を定期的に訪れていた叔母が遺言で、EM技術の使用も含む財団に一定額を譲渡するよう定めていたのだ。 オットー・ウンバックはこの基金設立に着手し、彼の活動を支援したい人々からの連絡を喜んで待っている。

 ピットマウ

(EMジャーナルの記事(2017年11月号 原文)はこちら⇒ https://emev.de/em-seit-ueber-20-jahren/

 

 


ひが・てるお/1941年沖縄県生まれ。EMの開発者。琉球大学名誉教授。国際EM技術センター長。アジア・太平洋自然農業ネットワーク会長、<公財>自然農法国際研究開発センター評議員、<公財>日本花の会評議員、NPO法人地球環境・共生ネットワーク理事長、農水省・国土交通省提唱「全国花のまちづくりコンクール」審査委員長<平成3年~平成28年>。著書に「新・地球を救う大変革」「地球を救う大変革①②③」「甦る未来」<サンマーク出版>、「EM医学革命」「新世紀EM環境革命」<綜合ユニコム>、「微生物の農業利用と環境保全」<農文協>、「愛と微生物のすべて」<ヒカルランド>、「シントロピーの法則」<地球環境共生ネットワーク>など。2019年8月に最新刊「日本の真髄」<文芸アカデミー>を上梓。2022年、春の勲章・褒章において、瑞宝中綬章を受章。