EM普及協会だより

微生物の力で育む自然農法米
~南さんの化学肥料、農薬を使わないお米づくり<その1>EMとの出会い

EMとの出会い

私たちの家は1949年に父が自然農法に出会ってから2024年で75年目を迎えます。

1985年頃より、私の地域でもほ場の基盤整備事業が始まり、中山間地域特有の小さなほ場は一枚20~30a前後に整備されました。小さなほ場が何枚もあったころは、家族を始めとして集落内の方々や親戚の方々等で協力しながら田植えから除草作業まで行ないました。作業は大変でしたが、今思い返せば人と人のつながりに温もりを感じられる良い時代だったように思います。ほ場が大きくなると機械による作業が主となり、加えて除草剤の普及により援農作業も無くなりました。

こうした整備事業によって機械化が進み、私自身が真剣に自然農法に向き合わなければならない状況になってきた1986年、自然農法の先輩の田畑正一郎先生よりEMを紹介されました。先生は石垣島でEMを活用して栽培されたという立派な人参を私に見せながら、「EMの説明会があるからぜひ来てはどうか」と勧めてくださいましたが、先生からそれまでにもいろいろな事を紹介して頂いていた私は、またかという思いでこの説明会に参加しませんでした。

しかし後日、田畑先生が「南さん、これ使ってみたら」と、500mlほどの茶色い液体を持って来られたのです。それがEMでした。試しに基盤整備のされなかった小さなほ場の一部に散布したところ、散布した部分だけ秋の実りが大変良かったのを見て、これは今までの物と違うと確信したのです。

幸いこの頃から自然農法の普及に携わるようになったため、私自身のほ場だけでなく、ほかの自然農法実施農家にもEMの活用を勧め、その活用試験が出来るようになりました。

EMを使ってみて一番初めに驚いたこと

こうしてEMを使い普及活動を始めた私は、1988年の収穫後(10月20日)に隣町の自然農法実施農家のほ場一枚の半分にだけEMを散布してみました。すると、翌年3月初めにほ場の半分がはっきりと黒くなっていたのです。不思議に思ってよく観察したところ、EMを散布した所は稲わら・稲株の分解が進んで黒くなったことがわかりました。

画像奥の稲株は白く、EMを散布した手前部分の稲株は黒く変化していることがはっきりわかる

 その7ヶ月後、EMを散布した稲株はさらに分解が進み、土に近い状態になりましたが、散布していない所の稲株は保管したときのままでした。

 このことに驚いた私は、微生物の働きを実感すると共に、この微生物の力を借りれば大きな課題であった雑草(ヒエ)対策が可能になるのではないか、と希望を抱きました。

1989年3月撮影の稲株。EM散布圃場(左)、未散布圃場(右)
その7か月後の稲株。EM散布圃場(左)、未散布圃場(右)

自然農法の米づくりは雑草からの学び

ここで、米づくりに欠かせない草取りについて触れておきます。

除草作業はぬかるむ田んぼの中で腰をかがめて行うため、体に負担がかかります。老いも若いも関係なく、体力があっても本当に大変な作業ですが、除草作業をしなければ田んぼの養分を雑草に取られてしまい、稲の生長が妨げられてしまうため、稲作には欠かせない作業なのです。

最初にも書きましたが、ほ場が小さかった頃は家族や親戚総出で作業をしてみんなでその苦労を負っていました。「コナギが生えてくるのは、安心して食べられるおいしいお米ができる土に変わったという証拠だよ」と、祖母は私にこう言って、喜んで1番草から3番草まで草取りを行なっていたことを覚えています。

揺動式除草機での除草作業

整備事業でほ場が広くなった当時、多くの農家がそうだったように我が家でも田植え機械の導入を検討し、田植え後の苗の生育を考えてミノルの田植え機を購入しました。除草機についても、広くなったほ場に都合の良い手押し除草機から揺動式除草機等まで様々な除草機具や機械を導入し、手取除草の時間を軽減する方法の模索を始めました。そして両親には「ほ場に除草に入らないように」とお願いしました。年老いた両親が田んぼで除草作業をしていると、世間から「年寄りを借り出してまで作業しなければならないのか」と思われて、自然農法に対するイメージが悪くなるのでは、と心配したためでした。自然農法は大変だというイメージを少しでも払拭したかったのです。

<上>八反(はつたん)取り、<下>Q(キュウ)ホー

機械を導入しても、除草作業には時間がかかりました。従来の除草機ですと、株と株の間は手除草になります。それでも最低2回は除草機を押して行なわないと稲が草に負けてしまう所が出来てしまいます。加えて、八反取り(はったんどり)やQ(キュウ)ホーを使った除草作業も2回くらいは行なわなければ、やはりコナギ等の雑草に稲が負けてしまう所ができてしまうのです。揺動式除草機も万能ではなく、硬盤の高低差が多い中山間地域のほ場では除草機が沈んで車軸で稲を押し倒すことが多かったため、条件の合う一部のほ場でしか使用出来ませんでした。

このように、米づくりの除草作業は昔も今も大変な労力を伴うものなのです。

EM活用でヒエ取りから解放、驚きの試験結果

ほ場が大きくなってから、「どのようにしたら稲作での草取りが楽になるのか、手取除草の時間と手間を軽減する方法はないのか」をずっと模索し続けてきた私がEMと出会えていたことは、非常に運が良かったと思います。

EMで分解が早く進んで色が土色に変わった稲株の変化を目の当たりにしたとき、ヒエの種子も有機物なのだから秋から春までの冬期間に微生物の働きで種子表面の分解が少しでも進めば発芽が早くなるのではないか、と考えました。

そこで、秋の収穫が済んだら米ぬか等の有機物を散布し、一反につき1リットルのEMを300リットルの水に薄めたものを散布しました。さらに耕起後にもう一回、ヒエの種子にEMが働くよう、1反当たり1リットルのEMを300リットルの水に薄めて散布を行ないました。

その作業をした翌年春のことです。荒代掻き時にはヒエが発芽しましたが、田植え後に発芽したヒエは弱々しく、生長せずに絶えて行きました。このような状態が数年続きそのうちヒエはほ場から姿を消したように生えてこなくなり、EMを長年使っておられる農家さんからもEMを継続使用することでヒエの心配はしなくても良くなったと言われるようになりました。

勝山が私のほ場。コナギの種子以外はすべて少ない。2020年に行なわれた福井県農業試験場の報告書より

これは、2020年に福井県農業試験場で行なった土中の種子埋蔵数の試験報告書です。この試験でEMを活用して30余年経過した私のほ場の土の中にはヒエの種子が無いという結果が出て、あり得ない数値に驚くと同時にただただEMの働きに感謝したのでした。

さらなる雑草抑制に向かって

私がEMを使い始めて30余年、ヒエ取りからは解放されて今日まで苦労なく作業ができています。

ですが、コナギ等に対する取り組みについてはほとんど皆無に近い状態で、「EMを使うと草が増えてどうにもならない。秋の収穫を行えないので火を付けて燃やした」という農家さんもいたくらい非常に厳しい現状がありました。

1994年、現在の(公財)自然農法国際研究開発センターで仕事をする機会に恵まれた私は、雑草の役割について研究をお願いしました。長年自然農法に携わった経験から、雑草と言われている草には何か自然の中での役割があるはずだと考えていたのです。そしてEM研究所には、EMを使うと草が増えるという農家さんのために「コナギの発芽と微生物の関係の研究」への協力をお願いしました。

ここから私のさらなる挑戦が始まったのです。


<PROFILE>
みなみ・としお / 南 都志男
自然農法指導員・有機JAS認証農家。1954年から自然農法を実施。自然農法水稲栽培実施面積126a(8筆)。EMを活用して秋処理、複数回代かき、田植え後田面施用により抑草。以前は揺動型歩行除草機を活用していたが、現在はほぼ無除草で栽培。
元 (公財)自然農法国際研究開発センター評議員。元(株)EM研究所役員。