レポート(トピックス)

趣旨は、「生ごみは燃やさず、土に還す」仲村達郎代表の遺を継ぐ農園グループ「EM窪平」

2001年10月、東京都町田市真光寺在住の仲村達郎さん(初代代表)を中心に5人の仲間たちが集まり、「生ごみは燃やさない。EMで発酵堆肥化して土に還す有機農業で人にも環境にもやさしい循環型地域社会をめざす」を趣旨に農園グループ「EM窪平」が発足しました。11年後に仲村達郎さん(享年73歳)が亡くなられた後もこの遺志は引き継がれ、現在4代目になる篠崎敏孝代表が活動をけん引しています。会員の高齢化やコロナ禍で定例行事中止などの難題を抱えながらも初志貫徹をめざしている23年間の歩みを2023年11月、2024年6月に行われた秋・春の収穫祭に参加し、取材しました。

ここも東京都下!
緑あふれる里山は生ごみで土づくり

2024年6月現在
2024年6月 階段を下りて、入り口付近に竹で囲った堆肥場がある。その先は区画農園

農園「EM窪平」の所在地は東京都町田市真光寺町のはずれにあります。最寄りの交通手段は小田急沿線鶴川駅から駅前広場バス停で真光寺公園行きに乗車して、真光寺中学校入り口にて下車。徒歩1分にある真光寺3丁目会館に設置されたリサイクル広場の花壇が目に飛び込んできます。この花壇では地域の方々が持ち寄ってきた生ごみ発酵肥料が活用されています。近くに仲村代表のご自宅があって、奥様の久子さんは畑へは約20分の道のりを歩いて行かれるそうです。そんなわけで私も歩いて向かいます。住宅地から離れた、交通の便が悪いからこその醍醐味が恵みとして与えられることをこの後実感することになります。

目印となる私立和光鶴川幼稚園が見えてきて、園舎の裏手を少し行くと鬱そうとした緑に覆われた窪地(谷戸)が垣間見えます。手づくりの竹製手すりがある階段を下りていくと、のどかな里山風景が眼前に広がります。

23年前、地主さんから借り受けたこの地は、「窪」と名が付くだけあって、周りを竹や栗の木などが鬱そうと生い茂る「谷戸」でした。仲村達郎さんは折から町田市が打ち出した「ゴミ・ゼロ市民会議」に共鳴。EMボカシで生ごみを発酵肥料にして土へ戻し、農薬・化学肥料を使わない安全で安心な野菜づくりを友人知人らに呼びかけスタートしました。

2002年4月 仲村夫妻。開墾当初の畑で
「EM窪平」会報第1号は2002年5月に不定期刊として発行。最新56号は、2024年7月に春の収穫祭参加者の声を特集

区画割り農園と作業を助け合う共働農園を併設

当初300坪の畑は、梅林や生い茂った樹木を伐採するなど仲村さんたち初期メンバーが手作業で切り拓いて400坪に。2003年には100世帯になった会員たちの協力で手掘りの井戸も完成させました。希望者に区画を割り当てた農園部会に加えて、2006年には会員が共同で楽しめる農園として新たに笹や雑草が生い茂った隣接地を「共働農園」として開墾しました。今では、9区画約400坪の個人農園と約600坪の共働農園を総勢52世帯の会員たちが家族連れで畑仕事を楽しんでいます。

2006年11月 蔓や竹が地を這うように生い茂っていた雑木林を鎌やノコギリ、鍬を持ち、会員たちが手作業で開墾。生ごみ堆肥投入で土づくりをした(写真提供:堀江千周)
2009年2月 大樹伐採(写真提供:堀江千周)
2009年10月 竹林整備で切り出した竹で休憩所づくり(写真提供:堀江千周)
2007年10月 手掘りで井戸掘り(写真提供:堀江千周)
2007年10月 水が出た! ポンプが据えられ、井戸が完成!(写真提供:堀江千周)

手づくりの休憩所など会員たちの共同作業によって運営も軌道に乗ってきた2012年9月、仲村代表の急逝に直面。大学時代のサークル活動以来の付き合いで会員に誘われ、EM窪平の活動を写真記録してきた堀江千周さんは「仲村さんの陣頭指揮のもと、皆の汗の結晶でつくり上げた楽しい思い出がいっぱいの農園ですが、誰もが心地よさを感じる楽園になっています。仲村さんの精神は私たちに引き継がれています」とアルバムを前に思い出は尽きません。仲村さんの後を継ぎ2代目代表になった林宏芳さんも「現役時代の仲村さんは全国各地のEM技術に取り組んでいるグループやNPOなど31団体と精力的に交流を持っていて、亡くなられて代表を引き継いだもののプレッシャーはありましたね。世代は変わっていきますが、生ごみを堆肥化して土に戻していこうという趣旨はこれからも生かしていって欲しいです」とEM窪平への思いを語っていました。

子供たちもお手伝い。お楽しみ満載で春と秋の収穫祭

EM窪平こそSDGsの草分けと話す篠崎代表。右後方は三村耕平共働農園部部長

発足当初から毎年春と秋に行ってきた「収穫祭」もコロナ禍で中止になっていましたが、2023年、5年ぶりに春・秋収穫祭が再開されました。畑で収穫した旬の野菜を使ったメニューを農園内の広場に設けられた竈で煮炊きします。春はジャガイモを使った豚汁、秋はサトイモを使った豚汁がメインになります。2024年の春の収穫祭は、異常気象の影響でしょうか、ダイコンは見事に大きく育ち、豚汁のメインになるジャガイモは不作でしたが、そこは手慣れた女性軍の臨機応変の料理が豪華に揃いました。

久子さんは若い世代のママたちや手伝いに参加する子どもたちの姿を見ながら、「夫は何事にも一所懸命で、亡くなる直前までEM窪平の未来像を説いていました。皆さんが楽しく、協力し合いながらこの取り組みを引き継いでいって下さることに感謝の気持ちでいっぱいです」と目を細めていました。

今時珍しい竃の火おこしや煮炊きに子どもたちも積極的にお手伝い

ゲスト参加した真光寺3丁目町内会の小寺宏之町会長は、父小寺康之さん(故人)がEM窪平立ち上げの発起人の1人だったこともあって、挨拶の後当時を懐かしむ会員達の昔談議を楽しそうに聴き入っていました。

食事に歌あり、抽選会ありの楽しい収穫祭。小寺町内会会長も輪の中に

篠崎代表は挨拶で、「私たちEM窪平の理念は、①生ごみは行政に出さず、燃やさない②生ごみは堆肥化して肥料として、土に還し、資源化を計る③生ごみを堆肥化する手段として、主にEMを活用する。これらを実践して自然環境の保持に寄与していきます。これからもEMを利用した健康野菜で健康寿命を保ちましょう」と呼びかけ、発足の趣旨がぶれないことの再確認をしました。

野菜の収穫も語らいながら、リフレッシュの場に。共働農園にて
生ごみの堆肥化に欠かせないEM資材・EMボカシは会員が手づくりで仕込む(EM窪平 共働農園部ホームページより)

取材後記

生ごみをテーマにしたグループ活動もいっとき全国的に盛り上がりましたが、生ごみを投入・活用する畑などの場所の確保が難しく、都市部での取り組みが特に減少傾向の中でEM窪平のように1000坪からの農地を借り続けられる自体が奇跡のようです。初代仲村代表は、会報誌第1号に「子供たちに叱られないように」と書かれていたのは、日常生活の営みで避けられない「ゴミ問題」を直視し、目先の自給自足ではなく、生ごみを堆肥化して安全で安心な野菜づくりを進めることで健全な循環型地域コミュニティの構築を目指したのではないでしょうか。

「EM窪平」20余年の実績は先達たちの汗の結晶を土台にして、”農”を楽しみながら、持続性ある仕組みづくりに取り組む会員間の総意にあるようです。この「楽園」が次世代へと引き継がれていくことに期待のエールを送ります。

(文責:鹿島)


【EM窪平 共働農園部ホームページ】https://masa5605.wixsite.com/emagri2