テレビ朝日の報道ステーションは、東日本大震災関連企画・シリーズとして2013年から毎月11日に東北3県(岩手・宮城・福島)の一つの町にスポットを当て、その町を中継しながらキャスターの古舘伊知郎さんがその地の現況を伝えた。
昨年の9月は、「自然を信じた米農家 ヘドロは海の贈り物」というタイトルで宮城県仙台市の鈴木英俊さんが登場した。
弟夫婦を津波で亡くし、自慢の田んぼには海水が入り作付けできない、というドン底の苦しみの中で、微生物が悪玉菌を分解し、塩分(ミネラル)は栄養分の多い良い土になるという問題のヘドロを利用する逆転の発想で希望をみつけた鈴木さんを紹介し、大きな反響を呼んだ。
この日は、鈴木さんのお米にほれ込んだ塩釜市の寿司店「すし哲」と鈴木さんの稲刈りを前にした豊饒の田んぼの二元中継。
「すし哲」の親方・白旗泰三さんが握るサンマやメバチなど地元の新鮮なネタと鈴木さんのまっしろに輝くシャリが出会った寿司を前に、「米のつくり手として最高の幸福」と語る鈴木さんの満面の笑顔が映し出された。
一方、夜のスポットライトを浴びた田んぼは、力強い生命力に溢れ、その稲穂の立ち姿を目にした視聴者は田んぼに凝縮された壮大な自然のドラマを見ているような感動を覚えたのではないか。
キャスターから「作付けできるとの確信はどこから」と問われた鈴木さんは、「稲も自然の一部、人間も植物も同じ生命力をもっている。
どんな環境の中でも生きたいと思うはずだ。日本橋川の浄化など実績のあるEMを長年使っていたので、このピンチを乗り越えられると信じていた」と応えた。
「苦しみを乗り越える自然の力をあるがままに受け入れれば、自然は裏切ることはない」というキャスターのまとめのメッセージは、実に的を射たものだった。
さて、自然の生命力を信じて危機を見事に乗り越えた鈴木英俊さんとはどんな方なのか、お尋ねしてきた。名勝松島海岸を抜け広大な水田地帯を走るJR仙石線。全通開通したのは昨年5月だ。いかに甚大な被害だったのかがわかる。仙台市宮城野区にある鈴木有機農園はJR仙石線陸前高砂駅から車で5分。海岸からは2.5kmのところにあるが、幸いなことに住宅街に囲まれていたため、大きな瓦礫や車などの流入は免れた。しかし、田んぼは砂利とゴミで冠水。水が引いた後に残った塩分を含んだヘドロは5cmから場所によっては10cmだった。
農林水産省によると、東北6県の約2万haの水田で塩害が発生し、そのうち1万5000haが宮城県の太平洋沿岸の水田だ。少なくとも3年は作付けが困難になるとして、作付けするとすれば、
①津波による泥や土砂が堆積していないこと、
②代かきするための用水施設が壊れておらず、用水を確保できること、
③排水した場合、下流部に2次被害を起こさないこと
の、3項目の条件を満たさなくてはならなかった。
鈴木さんは、一般家庭だけではなく、有名すし店などに大量のお米を販売していた。「作付けできないとなればみんなに迷惑をかける。それは、農家としてできない」。しかし、ヘドロがあり、用水がない。沿岸の排出ポンプも壊れている。3条件をクリアできないと思うか、思わないかが、運命の分かれ道だった。
約20年前から有用微生物(EM)を使って有機農法を実践していた鈴木さんにとって、この時、農家を絶望させている「ヘドロ」は「宝物」だと発想を転換させるに時間はかからなかった。「海のミネラル成分が含んでいるヘドロが微生物のエサとなって、むしろ土壌改善になる。とにかく、田植えをする」と決めた。ともかく、ヘドロを田から取り除かなくてもいいのだ。栄養が詰まった表土と一緒にヘドロを取り除くより労力も経費もはるかにかからない。こんな画期的な除塩対策があるだろうか。
このことをブログで発信したところ、EMの開発者・比嘉照夫教授の耳に入り、世界で塩害対策をしてきた比嘉教授にとって、鈴木さんの決意は、まさに「わが意を得たり」だった。NPO法人地球環境共生ネットワーク(U-ネット)の支援プロジェクトへの採用が決まり、全国のEMボランティアからEM活性液やEMボカシが送られ、最大の関門だった水の供給用ポンプの設置も、井戸を掘ることで解決した。たまたま、比嘉教授と対談した東北の支援を行っていた「てんつくマン」がこの話に共感し、すぐに「応援するよ」とのメッセージが届く。伝言ゲームのように「ヘドロだらけだけど田植えするんだよ。手伝おうよ」が広まった。
そして、鈴木さんのお米を食べているお客さんはじめ面識もないたくさんの若者たちが、鈴木農園の田んぼにやってきた。田んぼのゴミはあっという間に取り除かれ、所有するうち175aを作付けした。例年と比較すれば、わずかではあったが、EMの有効性や塩害に強い品種や塩分濃度別の生育データなど農業普及員を交えて集めることができた。結果は、前年を越える収量で味も良いお米だった。この年の収穫祭は、鈴木さんはもちろんのこと、関わったすべての人が感極まったのはいうまでもない。
そして、震災後5回目になる昨年の9月、鈴木さんや鈴木さんを支援した人々、そしてEMボランティアにすばらしい2つの出来事が起こった。ひとつは、もちろんテレビ朝日の報道ステーションで塩害を克服した農家として鈴木さんが生出演したことだ。
2つ目は鈴木さんの農法を受け継ぐ岩佐博幸さんが米づくりを始めたことだ。奇跡のドラマの第1章はこうして幕を閉じた。第2章は、もちろん健康産業として農業を変えていくことだ。 その方法は、すでに出来上がっている。あとは、仲間を増やすだけだ。
最後に鈴木さんの人となりを紹介したい。鈴木さんは、昭和17年生まれ。
代々農家の長男として生まれる。農業が嫌で商業高校に入学するが、卒業後は伝承農業と農業経営を教える宮城農学寮に入学。ここで、寮長の酒井馨に「本で覚えたスキーでは滑れない」「作物を作らんとする者は、根を作れ。根を作らんとする者は、土を作れ」と厳しい指導を受ける。青年活動に励み、真剣に農業に打ち込んだのは30代半ばから。その後、39歳から定年まで建設会社で働き、企業経営を学ぶ。この間、さまざまな農法の実験を行うが、有機農業に転じたきっかけは、自然農法の創始者岡田茂吉の自然観に基づく農法のよさを聞いたことから。「そんなにいいなら自分で実験してみよう」と、腐敗実験などを積み重ねる。情報を集める中でEMに出会い、実践を積んでいった。ことに自然の生命力を実感したのは、平成5年の大冷害の時に過剰な肥料を与えなかった田んぼの方が、収量が多かったこと。その後の稲づくりの大きなヒントとなった。「稲は環境に応じようと頑張っているのに人間の浅知恵でどうにかしようとするのが間違いなのだ」と。米は自然が作る。その環境を整えるのが農家の仕事なのだ。
その結果、化学肥料なしの独自の有機農法を編み出し、現在では、米ぬか、海藻、漁粕、エゴマ、おから、ステビア、万田酵素などをEMで発酵させたEMボカシ、ゆで卵ボカシなど独自の肥料を使っている。ゆで卵はコンビニで販売されなかったもの(黄身が真ん中にこなかったため、不良品として廃棄されたもの)を使用。殻ごとだから、カルシウムなどミネラル補充にはうってつけだ。
「EMはすぐれた資材。農家だって経営者だから、よいものを厳しくチェックして使うのだよ」とにっこりする鈴木さんは、顔の見える関係で結んだ消費者から絶大な信用を得ているのは言うまでもない。人に優しく、人の和を重んじ、人に感謝する気持ちを忘れない。
そして、なによりも自分の信ずることを貫く強い心。鈴木さんの姿勢に共感し、気骨あふれた大勢のボランティアが訪れるのも、必然のことだろう。鈴木さんが引き寄せた縁に、有用な微生物たちも大いに共鳴しているに違いない。
(文責:小野田)
【鈴木有機農園のホームページ】
http://blog.goo.ne.jp/suzukihidetoshi
【震災当時の様子(EM活用技術事例集2014より)】
http://www.ecopure.info/oldweb/topics/images/jireisyuu2014.pdf
【絆の井戸】
・Webエコピュア
https://www.ecopure.info/oldweb/topics/images/jireisyuu2014.pdf
・デジタルニューディール
http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm130926.html