EM PEOPLE

地球が危ない 海苔がとれない ~福岡県柳川市 堤 元一さん・キミ子さん

「2022年は海苔が1枚も採れなかった。今年(2023年)も水温が下がらず、種付けが遅れている」と肩を落とすのは福岡県柳川市の堤元一さん(86歳)・キミ子さん(84歳)夫妻だ。例年なら秋に網を張り、3月中旬ごろまで収穫を続ける。しかし、今年の秋も23度以下に水温が下がらず、種つけをする日程は10月下旬になった。堤さん夫妻は海苔養殖歴70年を超す大ベテランだが、こんな経験は数回しかない。

平成の凶作を救ったEM

私たちの記憶にある赤潮大発生による海苔の大凶作は20数年前になる。「海苔が食べられなくなる」と大騒ぎした。その平成12年(2000年)の海苔の色落ち騒動は、佐賀県、長崎県、熊本県、福岡県に続く有明海湾沿岸で発生し、諫早干拓地の水門が原因かと報じられたが、家庭排水などが河川から海に流れ込むことが原因であったともいわれている。海苔の色落ちは植物プランクトンの増殖による赤潮で必要な栄養が不足することから色落ちする。近年はその発生が常態化していた。

これに気付き、行動を起こしたのが、漁協の女性たちで堤キミ子さんもその一人だった。河内町(熊本市)で川にEM活性液を流していた中川ケイ子さんの情報を知り、すぐにEM活性液やEM団子つくりを開始した。川や海に投げ入れた量は膨大だった。その結果はすぐに現れ、翌年の平成13年(2001年)は海苔の大豊作となった。 

市がEM活性液をつくるまでに

当時、キミ子さんは60代、持って生まれた好奇心をエンジンにEM普及に走り回った。
「明日やろうとか思わん、今日やらなきゃ気がすまん」というキミ子さんは、地元の議員たちにもEMを理解してもらおうと全国の優れた現場に連れていった。当時、大和町は柳川市と合併し、市長選挙を控えていたので、EMの活用を市ぐるみでするという公約をあげた候補者を応援し、見事当選する。当時の市長は、某ビール会社の重役で「微生物」の利用方法を熟知していたのが幸いした。

そしてEMタンクが設置され、現在も柳川市役所ではEM活性液の無料配布が行われている。令和5年(2023年)の海の日には、環境課がEM団子を作るための土とEM活性液を提供し、人集めは堤さんたち市民が行った。結果、40名の参加者があり、7000個のEM団子をつくった。「やめると言ってもやめたらいかん」という堤さんのリーダーシップは変わらない。

ずらり並んだ柳川市のEM活性タンク

生活がかかっている海苔養殖仲間には網についた汚れをEMで発酵して分解させる方法などすべて伝えた。今では地域の4つある組合すべてがEMを使っている。農家、家庭の主婦にも学生にもEM活性液やEM団子のつくり方などを教えて家庭からEMを流すことを薦めてきた。EM活性液を流したらすぐに汚泥が消えシジミが発生したとか、セリが生えてきたとか、エピソードは山ほどある。

EMに夢中になり忙しく走りまわる中で「この地球はおかしい」と考える多くの人たちとめぐり会い、全国の仲間たちとつながりをもつことができた。ご主人の元一さんは運転手をつとめ、キミ子さんを支えた。「EMがあったからこそのいい人生だった」とキミ子さんはしみじみと振り返る。

海の畑の再生を

しかし、近年の気候変動の異常さに話題が戻るとキミ子さんの顔が曇る。結婚当初は、冷たい海に夜遅くまで入り海苔を収穫して、朝早くそれを干す過酷な仕事だったが、今ではすべてオートメーション。機械はごみひとつも逃さない。ボタン一つで海苔ができるが、肝心要の海苔が採れない。山からの栄養塩が川から流れず海に少ない。さらに雨が降らないことも追い打ちをかける。

堤夫妻にとって有明の海は宝もの

「森は海の恋人」というように堤さんたち漁業者は毎年山の手入れにいくが、近年の山は想像以上に荒れているという。父が漁師だった元一さんは毎日タイやヒラメでトロ箱いっぱいとれた子供の頃を思い出す。そして「自然はどうにもならん」と呟く。

しかし、海苔も光合成し有機物を栄養にして育つ。木々や作物を豊かにする微生物で海という畑を自然に還すという方法もあるだろう。藻場の再生はCO2の回収に役立つ。そのためにも「若い人たちがもっと微生物に関心を持って、家庭からEMを流して欲しい」とキミ子さんは願う。

取材日から3ヶ月経った2023年12月。秋芽海苔の収穫は順調にすすみ、収穫は例年並みだが、市場では品不足のため高値で取引されたという。キミ子さんは「私たちは一安心だが、消費者は海苔に手がでないのではないか」と心配する。海苔は日本が誇る優れた健康食品。海苔を巻いたおむすびが高級品になるのも時間の問題かもしれない。

取材日 / 2023年9月23日(文責:小野田)